尾瀬のマグネット

尾瀬のマグネット

人は別れるために人と出会うのか——。会者定離のもっとも辛い定めとは、この世で初めて出会った人との別れなのかもしれない。そう思えば、ときの瞬間すべてが愛おしく胸を突く。「思い出」は「思い出す」のではないという。「思いが出る」我知らず思いが出てしまうことに自らの意志は関与しない。ならばその思いを強くすべく (more…)

一本の境地へ

一本の境地へ

朝刊の投稿欄に寄せられた、若者の気づきに驚かされることがとても多い。トイレ掃除の手伝いを欠かさないという彼だったが、長年その理由を見出せずにいた。親や来客にトイレがきれいだと褒められるが、小遣いを貰えるわけでもなく特別なメリットはない。そもそも汚い場所であるからして (more…)

真砂の坂道を歩いて

真砂の坂道を歩いて

ごっそり残していたのが南アルプスの山々だった。手始めに、比較的穏やかな山容の鳳凰三山を芦安温泉郷から縦走し、名湯奈良田温泉、そして甲州の西山温泉を目指した。

緩い勾配の峠道はとても静かな緑の中にあって、疲労させるどころか体を軽くさせた (more…)

教養の流れに

教養の流れに

「涵之如海 養之如春」これをひたす海のごとき、教養を養えと揮毫したのは會津八一。その隣に展示されていた同人の書「北冥有魚」は荘子だねと、若い頃に分からなかったことが今は分かる。

今年もまたコロナ禍にあって湯田川温泉の孟宗料理を食べ損ねたが (more…)

自由が湧いてあふれる湯

自由が湧いてあふれる湯

「私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ」

行乞記にそう残した通り、漂泊の俳人、種田山頭火は旅と酒と温泉を愛した。季語もなければ五七五の韻律にもとらわれないのが山頭火の自由律俳句だが、その自由は憧れて真似できるような「自由」にあらず (more…)