五十度近い熱い湯を、首の裏側めがけて掛け続けるのが那須名物、その名も「かぶり湯」。常連の客はこのかぶり湯を絶対に欠かさない――。『ふだん着の温泉』というテレビ番組を書籍化した、懐かしい本にそう書いてあったが、今日日の那須温泉鹿の湯では「かぶり湯」を目にしなくなって久しい。
そうか、そういう常連が死んだのかと思いきや、最高温度の四十八度の湯船を陣取る、いつもの爺は今日もいた。これが実に面倒な存在で、揶揄されるくらいならまだしも、湯船に入ろうとすると説教が始まるので近付けない。不謹慎だが、そろそろ死なねえかなと思ってみるも、先の本にはかつての「主」のことが書かれていた。
若い頃に事故で首の骨を痛め、右半身に後遺症が残った。歩行だけでなく字を書くことまで出来なくなったが、湯治により恢復した。「自分の足で(鹿の湯に)来られるだけでも幸せだと思ってるの。金があるだけが幸せじゃないんだよな」だから他の客の入浴方法に容赦なく口を出す。
そんな婆が入るのは女湯ではなかったというから、女湯にはない最高温度の湯船だったろう。歴史が繰り返されるように主は変わり、そして湯治の文化が守られていく。
かぶり湯をきっちり二百回。「まるで修行僧だ」と、観光客かと思しき好奇の目が集まった頃には、私の肌は真っ赤にただれていたが、自ずから語り始めていたのかもしれない。次は、俺だと。
翌日は信夫高湯の玉子湯に立ち寄り、最終日に白布高湯を訪れた。白布温泉といえば西屋、その名旅館の湯守にして女将、その人である。
湯花を散らした歴史ある石膏泉を湯の滝にして、巨大な御影石の浴槽の中へと落とした湯滝風呂は、まさに豪放磊落。温泉の力、即ち大自然がそのまま人間を洗い流すのだから、湯浴み後に言葉にして表すということが難しい。
磨き上げられた日本家屋は重厚で、どの柱も惚れ惚れするほど黒光りしており、様式の中を佇む時間は俗的な遊興を認めず、保養だけを促してくるという、大人の温泉旅館の極みだが、高級旅館のそれとは相反する。なぜならここは奥州三高湯、屈指の湯治場だからだ。そして、歴史ある名湯は女将の実労働により守られている。
天恵に触れ、代々の歴史と伝統を引き継ぐ仕事の意味理由を知った者の、その労働の対価は金よりも重たいのだろう。文才に長け、書を嗜むだけでなく、写真もお上手なのね女将。頂いた写真と随筆の冊子は、本棚のちょっといい段に入れた。
吾妻連峰に抱かれた山懐には名渓もあるのだから、湯治をしながら魚釣り山登り。まるで文人墨客の教養だが、一つ困ったことがある。異性としても、あの、その、ちょっと好きな感じで、滞在中に告白してしまいそうで怖いのだ・・・・・・。