猛省するシーズン

猛省するシーズン

菱の葉が重なって繁茂する湖水から、均整の取れた素晴らしい体躯の魚が勢いよく飛び出してきた。熱い夏に弧を描いて応えた釣り竿は抗う魚に追従し、顎をがっちり捕らえた大きなルアーが魚を離さない。水生植物の群生を境にした陸上と水中との力のやり取りは他に類を見ず、魚を掛けてから畦に取り込み再び湖水へと (more…)

一本の境地へ

一本の境地へ

朝刊の投稿欄に寄せられた、若者の気づきに驚かされることがとても多い。トイレ掃除の手伝いを欠かさないという彼だったが、長年その理由を見出せずにいた。親や来客にトイレがきれいだと褒められるが、小遣いを貰えるわけでもなく特別なメリットはない。そもそも汚い場所であるからして (more…)

教養の流れに

教養の流れに

「涵之如海 養之如春」これをひたす海のごとき、教養を養えと揮毫したのは會津八一。その隣に展示されていた同人の書「北冥有魚」は荘子だねと、若い頃に分からなかったことが今は分かる。

今年もまたコロナ禍にあって湯田川温泉の孟宗料理を食べ損ねたが (more…)

復元の希望と共生の藪化と

復元の希望と共生の藪化と

狂ったように魚釣りに興じていた少年期の水辺環境は、とても劣悪でした。下水道の未整備域から流された生活排水は、護岸化された用水路を伝ってそのまま湖沼へ。季節を問わず茶色く濁った水面に水生植物は見られず、投棄された日用品や不燃ゴミだけでなく、浅場には大型家電が堆積していました (more…)

同じ目線で観なければ

同じ目線で観なければ

有為転変は世の習い、というよりは変わりゆくのが当然で、自然はつねに変化し続けている。まるであふれ出てくるような野生動物との接触事故が頻発する昨今。それは不作年だからという問題ではなく、不作の年だから「森を出て、人間社会での活動を活発化」させていることが問題なのだ (more…)