世代交代が進む大相撲だが、一本だけお酒を買って国技館の席に着くと、瞬時に今は昔に。中入りなどに若い娘っ子がポンポコリンを踊ることもなければ、馬鹿の一つ覚えのようなプロジェクション何某に照らし出されることもない土俵の上で、柝の音だけが甲高く響いていた。
髷を結い、廻し褌の出で立ちで押し合い圧し合う力士の姿は、たとえば古墳時代の力士像埴輪と見比べても遜色がない。確かに時代は変わり、いい加減に女性を土俵に上げるべきであり、女子相撲の大会も国技館の土俵で開催すべきだろう。その先にオリムピック競技としての道が開かれるのではないかとも思う。
もはや時代にそぐわない、根性と精神での敢闘が何より望まれる大相撲には、古いしきたりがそのまま残されている。「力士の休場を考える」と題された記事が、月刊誌『相撲』にあった。
土俵は命を懸ける場所、その気持ちなくばとされたのは、小結玉乃島が大関栃東戦で敗れた際に、右肩脱臼と右上腕二頭筋断裂の怪我を負った後の逸話で、部屋に戻り、師匠に休場を申し出るも「ばかやろう! 土俵は戦場なんだ。痛いもヘチマも言ってられねえ」と一蹴された。
テーピングで固めて強行出場するも連敗し、誰の目にも痛々しいばかりだったが、退路を断たれ左腕一本で闘ううちに右脇が締まり、浅く右上手を掴むと足が前に出た。驚異の六連勝、七勝七敗で千秋楽までこぎ着けた。
千秋楽の三賞選考委員会では、勝ち越せば敢闘賞の候補に推された。その成績に疑問が出る中、推薦した委員は敢然とした口調で力説した。「休場せず、土俵を全うした。賞の候補に名前を挙げることに意義がある」まさに敢闘精神に溢れた玉乃島は千秋楽で力尽きたが、「あの経験があったから何でも耐えられる」と述懐。「その精神を受け継いでいかなければいけない。それが伝統ですから」。
大怪我から復帰してきた幕内の若隆景が、今場所勝ちっ放しの関脇大の里に土をつけた取組は、素晴らしい一番だった。割れんばかりの大歓声に屋根や柱には亀裂が生じただろうが、大相撲の精神、そしてその根性は国技館を穿つ。昔からの伝統が、今に新しく立ち返っていた。