弥生へ、在来線で

先日の大雨による運休で、在来線特急から新幹線への変更を余儀なくされた。スタバのプラ容器を片手にキャリーバッグを引いたような合理性が新幹線に乗りたくない主な理由だが、その合理的という考え方によって地方路線は切り離され減便され、存続の危機に晒されており、暗に書かれた廃線への筋書きが、まるで大雨を「待ってましたぁ!」――なんてのはもう古いのかもしれない。

合理的な大動脈となった公共交通網は、ここにきて脆さを露呈。それがリニア建設を推進する契機となり、南アルプスをも穿とうとするならば、その合理性とは一体何なのか。誰のためなのか。新駅にはまたスタバが開店するのだろうか。

いわて銀河鉄道(車輌は青い森鉄道)に揺られて、一戸の御所野遺跡を訪ねた。

屋根に土を被せていたことが初めて分かった御所野遺跡の竪穴式住居は、公園内に復元されており、夏日が続く正午でもびっくりするほど涼しくて快適だった。栗の木材を使用して、ことに頑丈に組み上げられたその住居だから、厳しい東北の冬も問題にしなかっただろう。そして何のエネルギーを要することなく、夏涼しくて冬暖かい。さっそく自宅の屋根にも土を被せようかと思案するも、遺跡の博物館の屋根にはすでに土が盛られているらしい。これだね、次世代の標準は。

今とは異なる死生観を持っていた縄文人は、足を折り曲げて、または土器の中に入れて埋葬した。それは母親の胎内へと戻っていくように、再生そして再会を祈られたのではないか。死が今より身近だったからこそ、恐ろしいことではないと捉えられた。さすれば懸命に生きられようものの、握りしめた縄を放さないままならどうだろう。

集中して縄文遺跡を見てきたが、より縄文を尊ぶためには、持てる者と持たざる者、富が生んだ格差による争いや、死してなお権力を誇示するような墳墓を学び直し、いかにして現代の合理性への道が開かれてしまったのかを探らねばなるまい。

が、ここは東北、向かいは北海の大島。大陸に近い弥生は、うーん吉野ヶ里遺跡か。ここからは遥か遠し、在来線では行かれぬ――。