聞けば小倉が故里だというから、「この間ね、川棚温泉でね、初めて食べたんだよ。瓦そば」いやーアレはーと顔を曇らせて振り向けば、「ボク、よく食べるんです!」爛々と輝かせているではないか、目を――。
瞬時に顔を照らして取り繕った。だから私には詩情がないのか。しかし山頭火だって、最初は川棚温泉を「土地はよろしいが温泉はよろしくない、人間もよろしくないらしい」としたが、結庵を願ったではないか。
堕落に挫折、常に変わる「弱さ」の中にある、かなしみをとらえる。それを描くことで、初めて共感が生まれるとしても、瓦そばはどうなんでしょう・・・・・・。
ぞんぶんに内省した、その記録が詩になって残されているのだと改めて識って、湯田温泉の中原中也記念館で嘆息した。落ちて、底まで落ちて神を掴むのだとは以前に何かの随筆で読んだことがあったが、内省し尽くしたと言い切れるからこそ、中也の詩は今も読み継がれているのだろう。同じく、もしくはそれ以上に、金子みすゞの詩も読み継がれている。
往路の列車の中で『みすゞと雅輔』を開いてきたからか、いかにも観光的に復元された金子文英堂のそれも、なんだか嬉しい記念館だった。「みんなちがって、みんないい」と、今は町をあげて掲げているが、生前に詩集が刊行されることはなかった。それでも詩人は、後生に読み継がれることを確信していたのではないか。前日に撮影した最後の肖像は娘のためにではなく、詩人金子みすゞとして凜々しく写されていたように、私にも見えてきた。
近年に大改修された、長門湯本温泉「恩湯」の新しい浴場にようやく浸かることが叶ったあとに、初めて津和野を訪れた。その町並みよりも安野光雅美術館をじっくり鑑賞すると、同じく津和野人である森鴎外訳でアンデルセン『即興詩人』の必読を迫られた。しょうがないから、森鴎外記念館へも足を伸ばしたのだが、やはり『繪本 即興詩人』で読んだ気になろう。
敷かれた石州瓦の色合いが、まるでトスカーナのそれだと称される有福温泉。江戸時代の諸国温泉効能鑑にある「石州川村の湯」は、現代に謎の湯となっているが、石州瓦の湯、ということで、もういいんじゃないでしょうか。以前訪れたときは閉鎖されていた外湯も開いていたが、今夜は宿の内湯だけでやめておこう。思いの外、森鴎外が効いてるぜ・・・・・・。
秋晴れ、快晴となった旅の最後に巡る温泉を、ぞんぶんに愉しむべく、山に登る。国引き神話の杭となったのは大山か、それとも三瓶山か。謂れのある山に登るのは楽しく、縦走路には熊の目撃も相次ぐほどの自然が残り、快い汗をかけた。
ぷくぷくと足元から湧いて出る、汚れちまったような錆色の千原温泉に包まれると、詩情もぶくぶくと湧いてきた。やはり大枚を叩いてでも、ふぐを御膳に並べればよかったという、かなしみが――。