さらば、阿房自動車

若い頃は「クルマ」も、一つの自分であるかのように思っていたのだが、ということは何か。「アホウ」だったということか——。そんな阿房自動車への執着からようやく逃れられると、次に見えてきたのは、モデルが一代ないし二代で生産終了となった「不人気車」。機能や装備面での不人気はさて置いて、外装だけが時代に合わなかったと思しきそれは、イコール駄作というのではなかろう。どうして売れなかったのか、不人気モデルを乗り継いでその事実に迫った。

・・・・・・というのは嘘です。十年落ちると一気にゴミ同然に扱われる欧州車の、さらに不人気モデルゆえの安価が何より魅力でした——。

不人気だから、同じ車とすれ違うこともなければ、振り返られることもない。妙に俗世を捨てた感があるとは笑い話だが、中間階級向けに販売された左ハンドル車は腐ってもメルセデスベンツであり、走りの絶対的な快適性は時を経ても変わらない。これは特記すべきことで、特にW209のCLKは結構気に入っていた。

「魚釣りなんかは別の車で?」「いいえ、この車で向かいます」テントを詰め込んだザックで限界というよりも、当然クーペに長尺の釣り竿など積載できない。自ずと釣り場の範囲は狭められたが、それでポイントが絞られたのだという、凄いことにも気付かされた。

モーターショーもその呼び名が変わる時代。歴史を振り返れば、エンジン自動車は環境破壊の最たる原因であって、所有欲を呼び起こしては経済的な価値観へと現代人を誘ったのだから、まさしく元凶と言える。それはともかく、最近は自分の車に乗る機会も少なく、こだわりとかいう厄介な自意識が薄れてきては、早く遍路に行きたいのだという思いばかりを募らせていたではないか。

売却しても、さしずめ不便でないのは、フフフ。実はもう一台、独車を所有しているからだった。一升の燃料で十里は走れる、私のBMWを「018Mtb」とでも名付けようか。多少アルコール臭のする呼気を排出するのみ。いやはや、先進的だぜ。