いつの間にか恒例となった、母を連れ立っての紅葉登山旅。今年は二百名山の森吉山を目標にしたのだが、降りしきる秋雨が山頂付近では雪に変わっていた。早々にBプランへ切り替えて、秋田内陸線で温泉を目指した。
急行乗換えの駅で期せず、特別列車「縄文号」が入線していたから早くも昂奮状態。脱兎の如く普通列車を飛び出した高齢者と、それを追う中年男の心も恥ずかしながら少しだけ、はしゃいでいた。幸いにして雨天、それとも朝一だからなのか、車内の乗客は疎らだった。
「湯けむりクーポン」という優待きっぷの白眉は、温泉に入浴してくると復路の運賃がなんと無料。入浴料が割引きされるのは無論、駅から温泉まで送迎もしてくれるというのだから、あな恐ろしや。詐欺かもしれないぞと訝しみながら無人駅舎に降りるも、雨の中、運転手は送迎車を降りてBプランの私たちを待っていてくれた。
枯木も山の賑わいなのか、寒村で開催中だった「かかしコンテスト」。かかしのエントリー数は「すでに住民の数を超えています」というのは戯れ言だが、柔らかい国言葉の秋田善男は見るからに人柄の良さが滲み出ている。併設されていたマタギ資料館は小規模ながらも充実の内容で、山には神がいると自然崇拝するマタギが水垢離して山に入り、日常とは異なる山の言葉を使用して、雄大な奥羽山脈を駈け回る姿が想像出来るようになると、やはり日本人の習俗や文化の原型がそこにあるように思えてならなかった。
『北越雪譜』の鈴木牧之が秋山郷を訪ねる紀行の中に阿仁のマタギが出てきて、ずっと不思議に思っていたのだが、峰伝い(!)に信州や上州まで下りてくることがあり、夏場は草津温泉に岩魚を卸していたというからぶったまげた。そもそも、阿仁マタギは日光系とされ、清和天皇から狩猟免状を与えられており、戊辰戦争の時には官軍の狙撃手として火縄銃をぶっ放したという。マタギ、強かっただろうなとまた想像を巡らす。
あれは熊棚ですと説明を受けて、送迎車の中から樹を見上げた。そしてあれが熊ですと、今度は車道を横切る黒い影に目を奪われた。木立に前足を掛け、立ち上がって見せた見事な月の輪が胸元に輝いているではないか。あな恐ろしや、マタギでなければ人間、この地で生きられないのかも知れぬ・・・・・・とは裏腹に「可愛い!」初めて本物の熊を見たと母は大昂奮だった。
花鳥風月を愛でるように野生動物と接する態度は大変な誤りだが、子どものように歓喜するのを見て、私は嬉しかったのだと思う。気楽な旅行者の浅はかな振る舞いを愚行中の愚行だと識るも、旅先での良き思い出になったと喜んだのだから許されない。
路が山深くなるにつれ、母の顔が私に振り返ってきた。どの面下げてとは、まったく親に言う言葉ではないのだが、「Ex−お嬢様」だと言い張る母に、本格的な秘湯の宿。今更だが、大丈夫かな。
二、三畳の小屋に起臥して、裏の畠から摘んだ蔬菜の一皿で満足し、静かな雨に耳を傾けることができれば、何を識らずとも風流ではないか。山間を吹き抜ける秋風のように爽やかではないか。きのこの季節にして、本領発揮の秘湯宿の夕食は滋味深く、夜半には冷え込んだが、清く澄んだ山の出で湯はどこまでも温かった。
帰路の電車の中で、母は人目も憚らず、土産に買った秋田犬の人形を嬉しそうに抱きしめていた。年々、童子へと還っていくように思えば嬉しいが、季節は確かに過ぎていくのだから。