石橋を渡る

人間万事さまざまの、世を渡り行く身のありさま、物ごとに遮る眼の前、光の陰をや送るらん——。様々の業を負って世間を渡っていくが、眼の前を移りゆく事物にとらわれて、日々の明け暮れを過ごしている人間だからこそ、真理を尋ねるように山へ分け入るのではなかろうか。峨々として聳え立つ巌の崖に心を、身体を迷わせながら見詰め直すのは、自分以外に何もないのだから。

恐ろしく切れ落ちた泥梨の此処が、穢土から浄土へと繋がる場所に間違いないと、私は絶壁のキレットに能「石橋」を見出していた。しかし、現れたのは樵の少年でも獅子でもなく、瓜実顔の山婦女子だった。

明け方から強い雨になった先日。同宿者たちから翻意を促されるも、若い女性登山者は頑として聞かず、一人、岩峰に弾き返された雨粒が冷たく彷徨う山路へと消えていった。挑む者を向こう見ずだとか若いからだとか、その時は私も同じように見過ごしたのだが、どういうわけか下山して一週間と経たぬ内に、釣行の予定を振り切って、長大な尾根を登り直してきた。

まさか瓜実顔の山婦女子がその亡霊でしたという話ではなく、谷底を覗き込んでは青ざめていた私と同調するように「おっかないですよね」とは言うものの、眉を曇らしたような顔ではなく鷹揚に構えている。首から提げたカメラには大口径の広角レンズが装着されており、聞けば、単独行テント泊の縦走中で「不帰ノ嶮」を目指しているというから足を踏み外しそうになった。

一人の挑戦者に男も女もなければ、何より独りで挑んでいるというのだから、誰のためでもない。雨の中、屈指の難路へと突き進んでいった彼女もまた、強いからではなく、弱さを自覚していたから登っていったのだろう。弱さと向き合えば、それが変わる。恐怖の風も、秋の爽やかな風だと感じるのは同じ人間。

振り返れば、すぐ後を登ってくる人がいた。険しい路も思わず愉しい登山となって、山頂では彼女のカメラ(親指AFであった)を託してもらい、さながらアイドルの撮影会のごとく写しまくった。「いいよ! 弾けるような笑顔、キレットに頂戴!」。ああ、これぞ私の真骨頂というのは置いといて、一瞬を尊く味わうのもまた、独りであるからに違いなかった。

虎口を脱したテントの中で安堵して、少し眠ってしまった。朧気に照らされていた入口を捲ると、月明り。どこかで今様を謡う声など聞こえてこなかったが、すぐ隣りに張られていたはずのテントはもう、どこにもなかった。