放蕩した孫の借金に苦しめられた晩年の葛飾北斎は、毎朝まず獅子を描いてからでないと人に会わなかったという。国立能楽堂の開場四十周年記念公演で上演された「獅子聟」は、大蔵流山本東次郎家のみに伝わる秘曲で、科白劇というより祝言性の高い演舞が中心ゆえ、周りの反応も気になったのだが、隣席の老夫婦の感嘆はもとより、感動で胸を一杯にしたような若い女性の面持ちに、観客らの理解の深さにも感服させられた。
公演の図録に掲載されていた随筆が難しく、二度読んでもよく分からなかったので、大変な学者の筆によるものだろうと筆者の肩書きを覘けば「横綱審議委員会委員長」。おおお、さすがは横審の委員長。最近は慌ただしくて、本場所の取組に集中出来たのは、山中のテント場で弱いラジオ波を拾った一日だけという始末。大相撲ファン、それではいけないと国技館へ赴いた。
横綱の不在、連続して新大関が誕生するも、その大関陣が不振で、優勝戦線を独走したのは再入幕の若き獅子、伊勢ヶ濱部屋の熱海富士だった。割を崩して三役、そして大関との一番が組まれた終盤はさすがに崩れたが、真っ向勝負を挑んだ連日の健闘を大いに称え、跳ね太鼓に送られていた。国技館を後にしてすぐの交差点で、タクシーを待っているのだろうか、一際大きな力士が憮然とした、というよりは何だか構ってほしいような表情を浮かべて佇んでいるではないか。
「ちぇ。負けちゃったよ」
——あれ、熱海富士、だよね? 今まさにてんでんばらばら国技館から出てきた満員の観客らも、あまりの子供っぽさに、まさか役力士と相撲を取っていた獅子とは思えず、序二段くらいにしか見えなかったのではなかろうか。いつかは横審の審美眼に適い、千秋楽の結びで相撲を取るような成長が期待される有望力士の一人なのだが、大丈夫か。熱海富士。
初代国立劇場での文楽公演の掉尾を飾る『菅原伝授手習鑑』。五段目の上演は五十一年ぶりなんだとかで、そもそも祝言の意味合いが強い五段目というのは、それゆえに他の演目でも形骸化され、現在ではほとんど上演されていない。まさにその五段目の祝言をもって大団円を迎えたわけだが、文楽の後継者不足も深刻だとは地方公演で聞いた話だった。
情報過多の時代にあって、効率を求められては時短に走る昨今。要点だけを押さえた動画で考える間もなく浅はかになるのだから、言葉の少ないものや動きの少ないものへの理解が深まるわけがない。歌舞伎よりも得られる視覚的情報が少ない人形浄瑠璃の方が、より心情を慮って観られると思うのだが。
能面の僅かな傾きだけで心象を照らし曇らせ、そこから観客らが「想像し、読み取らなければならない」能楽という極めて削ぎ落とされた表現こそ、実生活にも大変役立つ、否、これこそ人間に必要な理解の深さではないか。狂言を鑑賞して笑っていられなくなる、その深さ。