道。道とは何か。「道の道とすべきは、常の道に非ず」。温泉の道を志して二十余年。ついに日本最奥の温泉、高天原温泉にたどり着いたのだが、その道の長いこと長いこと。
この温泉へ行くために研鑽を積み重ねてきたものの、雲ノ平に登る道が苦行であれば、薬師沢を遡る道なき道なんてほとんど荒行じゃないか! 二日間歩き通してきた感動よりも、温泉ファン憧れの湯の中で何より先に思ったのは「二度と来ない」だった。
百花繚乱の黒部源流部の夏山は連日、無慈悲な夕立に見舞われていた。雷神を従えた雨雲から北口榛花選手の槍のごとく鋭い雨粒が放たれるも、右往左往する愚者とは異なり、高山植物はその恵みを全身で受け止めて静かに潤う。同じ登山口から大きな荷物を背負ってきたハイカーたちの進路は大体同じようで、野営地で落ち合うことも多かったが、まずは一心不乱にテントを設営して夕立に備えた。
「来た来た来たーっ!」もはや未の刻を待たず、どこからともなく号令がかかると、雄大な鷲羽岳の頂はいつの間にか黒雲に飲み込まれていた。どの顔も土管に逃げ込む泥鰌のように、雷鳴が轟くのをテントの中でやり過ごす。
しかし、この日は一段とご機嫌斜めのようで、低い場所に張ったテントが浸水したらしい。内も外も大騒ぎの中をそっと覗いてみると、鋭い岩峰である水晶岳の稜線に稲光が走った。刹那、まるで崩壊したかのような爆音がテントの幕を激震。(なんと登山者に落ちてヘリで搬送されたそうな)
雨後の筍がテントを這い出でてきたのは、人恋しいからなのか。昨晩、山荘の自炊室で食事を取りながら会話した若い娘が温泉ファンの存命に気付き、自身のテントの前から手を振ってくれた。彼女もまた、夕立には間に合ったようだ。
春秋に富む者ばかりでなく、悠然として南山を見ているような好々爺までが清遊している、深山の懐中だったが、誰かがアーベントロートに染まる槍ヶ岳を指差した途端に槍、槍、槍の一色に。ハイカーというのが、どれだけ槍ヶ岳と播隆上人を信仰しているのかは知らないが、誰か山女魚か相撲の話でもしてくれないかと辟易した頃だった。
夏山の夕陽が彼女の顔をしとやかに染め上げた。恥じらいのある膨よかな笑顔が誰かに似ていると思っていた。ハイカーたちはもっと、やり投げ競技に注目しなければならない。
氷河が浸食した黒部五郎岳の圏谷に沿って、雪解け水が潤沢に下されていた。誰よりも先にその大河の一滴で露命を繋いできた、まるで恐竜の生き残りのような神鳥が首をもたげた。道とは何か。氷河期を生き延びてきた、その悠久の道を問うも「知る者は言わず、言う者は知らず」。なるほどそれが自然の道理であったかと。
カンテラを下げて登ってきたのは、復路のバスに間に合わないからだったが、巨きな薬師岳の頂で、図らずも日の出を迎えていた。
来光差す方角に、霊峰白山が浮かんでいる。雲海の中を浮かんでいる。やはり道はどこにでもあったのだ。
「是を以て相蘊む」思わず山頂標識に抱きついた少年たちは、見事に歓待されていた。