駅前旅館にて

ホテル暮らしは快適だけれども、そもそも私は旅館派ではなかったか。急に恥ずかしくなって駅前旅館に移ってきたのだが、恐ろしく日当たりが悪いのかそれとも電灯が壊れているだけなのか。なにやらが玄関で鬱蒼と茂っていた

帳場の暗がりで妖怪のような笑い声を上げた番頭に宿帳を渡すと、どこからともなく肥えたドラマーのような三助が上半身裸で現れた。唐突の「ご飯できます!」に気圧されてのイエスだったが、二十一世紀に裸で接客とは。

風呂は無論、トイレというより便所も共用だが、問題は那辺にありや。洗面所で蛇口をひねると、なぜか向かいの部屋の外国人が必ず扉を開けて覗くのだ。水音が五月蠅いのか過剰に神経質なのか。虫なんかそこら中で、すだいているのだが。

超、寸足らずの浴衣に着替えて食堂に下りるも、蒸し風呂状態で、だから三助は裸にエプロン姿だった。汗だくでフライ返しにされたのはゴーヤと厚揚げなの? え、これなにソーセージ? 小鉢にも正体不明が煮っ転がされているではないか。果たしてこれは、食べられるものなのかと逡巡していると、見かねた三助が「遠慮は要らねえ」と、ロックな感じで親指を立ててウインク。

なんの面白みもない近代ホテルの快適さ、見え透いたような清潔感が、今となっては憧れに変わっている。どうして私はこんなところに・・・・・・。

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連泊も連泊だが、当然のように部屋の掃除もしてくれないのだから、布団の敷布はもとより浴衣も、タオルの交換まで一切なし。そこら辺はもう揺るぎない。水音を立てぬようにと、どんなに節水を心掛けても外国人は出てくるのだ。

「限界」のようなものを頭が感じ始めた頃だった。とあるロックバンドのドキュメンタリー映画のチラシが堆く積まれていたのを見つけた。途端に、壁に染み付いた汚れも、破壊された便器も、玄関で鬱蒼と茂るなにかも、本来の色彩を取り戻したように輝き出したではないか。

覚悟して食べるとまあ、それなりに食べられるどころか、外国人はいつも残さずに食べている。歪な形の餃子のような食べ物は手作りの証しであるのだから、連泊ごときではアメニティ交換や使い捨てをしないのがエコだ。節水だ。そうだ、暑いなら脱げ! 原発反対!

井伏鱒二もぶっ飛ぶほどの現代の駅前旅館。面白くなってきたぜ。