古い地図を買い換えに訪れた書店で会計を済ませると、商品と一緒に小さな声が手渡された。「――良い旅を」。厚いメガネの、いかにも書店員風の、恥ずかしそうなその一声に、旅情は始まっていた。
じゃが芋の花が見頃であると地図に記されていた羊蹄山麓でカメラを構えるも、肝心の蝦夷富士は終始ご機嫌斜め。北海道に梅雨がないというのは、もう昔の話だったか。連日夜半には烈しい雨が降り続き、旅の最後の最後まで北の秀峰は霧中にあった。
エゾマルバシモツケなのか、それともマルバシモツケなのか。イマイチよく分からなくとも、君のことは分かるよエゾシマリス君! 森の中で動き回る小動物を追いかけたレンズは翻弄されるも、ウコンウツギの淡い色合いの花弁が曇天に映えているのを捉えた。
エゾフウロ、そしてキバナシャクナゲの群生。むくれたように膨れていた、エゾノツガザクラのその色の濃いことと言ったら! なるほど雨の季節は、そのまま歓びの季節であったかと、深く頷いていた私を訝しむようにキタキツネが覗いていた。痩せて見えるのは夏毛だからか、産毛に包まれたタルマイソウの方が愛らしい。
定山渓、ニセコ五色にニセコ湯本(ちょうど大湯沼で蒸気噴出の事故があったのだが、極めて柔らかい特級の硫化水素泉に影響はなかった)から函館に下って湯の川温泉。再度、北上して登別での宿泊日に週末となったのは失敗だった。一大温泉地は観光客で溢れ、風呂の中もクマ牧場並の密集度。おまけに倶利迦羅紋紋の団体まで・・・・・・。
虚勢と言えど、それもまた弱い自分を知ったからの挙動かもしれない。などと考えているうちに、洗い場で、何だか昭和の銭湯のように挟まれた私は、鏡を凝視するしかなく。すると鏡に映ってきたのが、無精髭の伸びてきた横綱日馬富士だったから驚いた。連日の山登り(ほとんど湯巡り)で少し体が締まってきたか。
申し合わせたかのように北海道駒ヶ岳も、剣ヶ峰を見せてはくれなかった。登れども登れども、ただ霧中に入るだけで自分は苦しい苦しいと発しているのだけれども、足や体は動いてそのまま坂道を登ってゆくのだ。
すべての雲霧はここから創られていると、登山客が笑いながら子どもに聞かせていたが、樽前山の溶岩ドームを真正面に望むと、あながち嘘とは思えなかった。虚勢を張っても、誤魔化したに過ぎない。逃げ出したに過ぎない。雨を歓ぶ動植物たちのように、すべての始まりである根源を識らなければならない。追い詰められれば気も狂うだろうが、窮すれば通ずる――。
ほんの僅かな間だけだった。蝦夷富士の眺望が開けていた。
支笏湖畔の名湯、丸駒温泉は宿泊客を送り出したすぐ後から入浴客で混雑していた。地図にも足元湧出する湖畔の天然露天風呂と謳われていたが、どういう訳かその露天風呂を独り占めして、旅情に浸っていた。ご時世、地図を購入する旅人など珍しいのだろう。