無財の七施

都会では、ほとほと食事に困る。大衆店で大行列に巻き付かれ、老舗ではベラボーな代金を迫られた。消沈し軽食で済ませようとするも、パンはどれにしますか? トッピングは何にしますか? ポテトの味は――と、挫折すら許してくれないのだ。

つい先日などは「早く料理を取らんかい」と、いつの間にか座席の前で佇立していた給仕ロボット(もはや都会は未来なのか?)にも怒られて。失意のまま、休日の今日は西武線を下って秩父を目指します。

霞む山峡へ分け入っていくと不思議なくらい気分は晴れてきたが、長いトンネルを抜けて見えてきた武甲山は、その山肌を容赦なく削り取られ、発破の轟音に煙っていた。

小さな集落と亡兄から作家は何を受け取り紡いできたのか――。歓待の言葉を求めてと題された、Eテレ「こころの時代」で、浦と呼ばれる作家の家郷が映されていた。

海が山に侵されたように、はたまた山が海に蝕まれたような入り組んだ地形に平地は少なく、海岸線の浜辺に密集した集落が寂しく取り残されているように見えた。そんな土地で育った作家だったが、上京して更に大学院へ進学。その報せを受けた集落の住民は開口一番、まだ勉強しなければならないのか。おまえは余程頭が悪いのだなと。

そして対照的な兄弟だった。兄は勉強も運動も得意ではなく、不器用だった。弟はそんな兄を自分に「奪われた人」だと思っていたが、集落の住民はそう思っていなかった。「兄に」と献辞された『九年前の祈り』に記されている。

「いじめられても誰も恨まん、人の悪口も絶対に言わん、わたしらを見たらいつも嬉しそうに挨拶をしてくるる、足の悪い年寄り衆のために代わりに墓参りに行ってやる・・・・・・そげな子があんたんところの子のほかにどこにおるんか! わたしらは本当にそう思うておるから」

歓待されていた。奪われた人とは与える人であったというのだ。

――っだからポテトの味は?

凄まれてもよく分からず、(ポテトの味は、い、芋の味じゃなかろうか)またオロオロと。

(そう言えば、都会に来てからの私は、やたらと老人に道を尋ねられたり、電車の時刻を尋ねられたりしていた)

この奪われた山も同じように、与える山であったか。ここから削り出された資源が、昨日の都市を築いている。

山頂から都市は見えず、かなしさとさびしさだけがのぞいていた。