気になるカフェーの店員が誰かに似ていて、ずっと思い出せずにいたのだが、あああ!た、た、俵 万智――。どうしてなかなか、私の趣味も感性も鋭くなってきたなということで「展覧会 岡本太郎」に間に合った。そして「展覧会 タローマン」にも、間に合っちゃった。
「同じことをくりかえすくらいなら死んでしまえ」や「好かれるやつほどダメになる」それから「孤独こそ人間が強烈に生きるバネだ」などの岡本太郎の言葉は、いつの間にかステレオタイプになっていた大人たちにグサリと刺さり、そのまま抜けなくなったのではないか。
いつもは休憩など取らずに鑑賞するが、酷く疲れて館内で座り込んでしまった(自宅で図録を広げて振り返る今もまた酷く疲れている)。強烈な色合いで表現された題材は、難解だがキャラクターを帯びており、分かり易そうでさっぱり分からない。
そう思うと尚更、タローマンは岡本太郎作品とそのメッセージをよく捉えており、見事に作られていると改めて感心するも、「今日の芸術はうまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という岡本太郎の主義と相反してしまう。
代名詞である「対極主義」とは、正しくその矛盾と対立を強調しながらぶつけ合うことだろう。たとえば詩を読んでいて「分からないけれど分かる」ように、言葉を持ってしても分からないものは分からないが(言葉たりえないものに言葉で迫るのが文学だが)、私たちは「分かる」のだ。共通言語がまったく不要である絵画の世界を、それゆえベラボーに深いと見るか、否か。酷く疲れているものの、考えているうちに私の中にある毒のようなものがふつふつと湧き上がってきた。
すでに陽も傾いていた名古屋だったが、私もやってやるぞと意気込んだ。次ぎの移動先の仙台へは新幹線を使わずに、在来線特急だけを乗り継いで行ってやる。でたらめをやってやる!
翌朝の湯本駅にて。・・・・・・磐城までしかたどり着けませんでした。
仙台行きの特急列車はまだ来ない。約束の時間には当然、間に合わないのです――。