本州最北端の下北駅の、もう一つ奥の駅が終着駅で、十四時二分に大湊着。感慨に浸ることなく十四時十三分、野辺地に向けて折り返した。こんなに哀しい趣味趣向、いや挑戦があってよいものなのか。下北半島まで来て下風呂温泉に行かず、薬研温泉にも、せめてむつ矢立温泉にと、種々天秤に掛けて逡巡するも、次の路線に向けて当地を後にした。

松林が見えたので、恐らく斧の柄の部分を走っているものと思われたが、行きも帰りも曇天で、景色がよく分からない。大きな風車だけが見える。冬でも夏でも下北半島はとにかく寂しいが、一両の列車は上りも満員だった。
クロスシートの向かいで鼾をかいていた男の顔が、下北在住の知人とよく似ていた。親戚というより弟かと思わせるほどで、熟睡中をいいことに、まじまじその顔を覗くと、「・・・・・・本人ではなかろうか」そんな気になってきた。
「○○さん」と、名字を呼んでみたところで、同姓が多いだろうから「はい?」「いや、○○さんですよね?」「ですけれど、はい?」同姓が多いということは、血脈なんかも似通っているだろうから、もはやどうしていいか分からなくなる。これもまた、見過ごすしかあるまい。

翌朝、始発の内陸線に乗車。前回は列車転覆事故、その後も内陸線は災害級の大雪、おまけに除雪車の故障という苦難に見舞われており、しばらく運休が続いていた。余程乗ってくれるなという、ご加護を払い除けての高架橋や、見るからに雪崩の巣窟には手に汗を握ったが、なんとか終点の角館に到着。
宿を出るときに「森吉山ですよね?」と訊かれ、「・・・・・・もちろん」と応えた私は、いつからこんな不健康になったのだろうか。私の他に起点から終点まで乗り通したのは、車内を何度も行ったり来たりしていた、健康的な若い女性の鉄道ファンだけだった。

塗炭の苦しみに覆われたような、雪国の冬を車窓から眺めていると、瓦屋根がないことに気付いた。寺社寺院もトタンの屋根で、だからなのかもしれないが、鉛色の世界を拭い去るようにして家屋は、それを払い除けていた。抗うように熱い煙を上げて、人間が暮らしていた。
角館から新幹線には乗らず、奥羽本線で新庄まで抜けた。運行を再開した陸羽西線に久しぶり乗車したところで、ようやく瓦屋根を発見。鉄道ファンの女性も同じ列車に乗っていた。彼女もまた、じっと車窓を眺めていた。
