終着駅のおかしみ

横浜能楽堂が催す、横浜狂言堂は狂言二曲と能楽師による解説が付いて、二千円。こんなのは行かなければ損、人生の大損だとは大言でもなく、・・・・・・ホントなんです。この日の演目「附子」は、まさに狂言と呼ぶべく滑稽で笑える、とても楽しい曲だが、主の思惑と従者たちの性格、そして主従関係の歪みがありありと描かれる。

狂言は引き算、削りに削られたその科白にこそ、聞き逃してはならない言葉があると山本東次郎師。なるほど文学性はそこにあり、多くを語っているのはいつでも閑かなものだが、さっきから含み笑いを浮かばせている久留里線の、ニキビ顔のチーバ君たちの言わんとしていることは、さっぱり分からないのである。

終着駅まで乗っていたのは、鉄道ファンと思しき人間だけだった。図らずも、乗車当日に一部廃線のニュースが伝えられたが、それも致し方ないような盲腸線で、沿線には自噴する井戸があり、酒造りも盛んらしいのだが、千葉の酒蔵は木戸泉くらいしか知らない。ブラックバス釣りを嗜まないから亀山湖に用事はなく、モール泉の亀山温泉にもあまり食指は動かなかったが、それでもせっかく来たのだから入浴していこうと、上りの時刻を確認するも次の列車が三時間後とは・・・・・・。

鉄道ファンらと一緒に列車を降り、特別何をするわけでもなく、折り返しの列車に乗って久留里まで戻ってくると、下校してきた高校生たちがわいわいと乗り込んできた。イマドキ珍しいようなニキビの少年少女たちで、男子は皆一様に尻が汚れている。小猿にように元気に乗り込んできた彼らだったが、折り返してきた鉄道ファンを見るや、口に何やらを含ませた。そういうオジさんたちへの、そういう含み笑いなのかチーバ君。

川が流れるところに路がつき、その先へと拓かれ結ばれた。川は偉大というか、流れの弱い川ほどカッコ悪いものはない思うのは、釣り人に限ったことでなく、千葉が面白くないというのも、それに限ったことではないだろう。利根川をなんとなく追いかけるような両毛の線路で、支流である渡良瀬川を目指した。

相老駅で旧足尾線のわたらせ渓谷鐵道に乗り換え、いよいよ渓谷を伝う頃、ようやくトンネルに入った。広大な関東平野を作ったのは誰だったかと、また川の偉大さを思うばかりだが、山を禿げ山にし、その川に鉱毒を流した過去を簡単に忘れてはいけない。この線路も何のために敷かれたのかを考えて乗らなければならない。

足尾の中心地である通洞駅まで乗り通した高校生がいたが、終着駅の間藤駅まで乗っていたのは、やはり鉄道ファンだけで、私と同じく折り返すのだろうと思っていたら、日足トンネルへ向かうバスに乗り換えていた。日光駅、それとも東武日光駅から鉄道旅を続けるのだろうか。

私は乗ってきた、寂しい一両の列車で折り返し、高崎でまた狂言を観る。狂言は引き算の美学を用いて、人間の愚かしさを描くが、それは人間を賛美するためである。