それでも好転する八景

昨年は強い降雪に見舞われた。それでも予定通り登山口までのバスを待ったが、バスは来なかった。時刻表を読み間違えており、あえなく予定を変更して麓の温泉施設、不断ならまず訪れることのないような新しい施設に訪れたのだが、これが癒やしについて考え尽くされた素晴らしい施設だった。

計画を練り直してきた今年は、山桜の咲く季節に鈴鹿山脈の岩場に取り付くことができた。が、登頂直後に笑い出した膝と心の弛みがロープウエーに吊られてしまい、思いの外よりずっと下まで運ばれてしまった。参ったな、しょうがないから温泉でも入るかと、でもそれでは風呂上がりに急勾配の武平峠を登り返すことになる。

人目を忍んで、大石内蔵助はこの峠を越えていった。愛人とうつつを抜かしていたのは世間を欺くためで、物見遊山を装い義士たちを待っていた。愛人に真相を伝え、涙を流して別れを告げたのが湯の山温泉の涙橋。泣きたいのは私も同じだと、風呂上がりに。

色々と失敗しないように、また見逃さないようにと大津の歴史博物館で下調べをしにきたが、近江八景くらい知っている。瀟湘八景に因んだ湖国の名所であって、そんなことよりも琵琶湖が世界有数の古代湖であり、その成り立ちは断層のずれに溜まった水で、堆積した重みでまた断層がずれてを繰り返し、琵琶湖は移動してきたということまで知っているのだと、琵琶湖博物館で学んできたばかりの浅薄に鼻を高くしていた姿が、「大津絵」に描かれていた。

なんだか間の抜けた赤鬼が僧衣を着て説いている様は「鬼の寒念仏」。知らぬは己ばかり、それでも鬼の角が一本折られていて、救いになっているらしい。大変気に入り、大津絵陶器の徳利を一つ購入した。

 

石山秋月の石山寺で物語を着想した紫式部を思い浮かべるも、三井晩鐘の三井寺では入相の鐘の音より阿閼伽井から湧く霊泉のボコボコ音に戦慄した。後日登る比良山地に雪はないが、春の晴嵐、夏の夜雨、そして落雁と、風光明媚な水辺の風景というのは、やはり日本人の琴線に触れる八景であると、まるで大海のように凪いだ琵琶湖を延暦寺駅の展望所から望んだ。

比叡山には千日回峰行の山路で登りたかったが、午前に強い雨の予報。午後からケーブルカーで急勾配を登るうちに、雨で良かったと心から思うも、根本中堂は未だ改修工事中だった。脇に立てられていた宮沢賢治碑をなぞる。反発する賢治を父の政次郎は日本仏教の母山に誘ってきたが、その想いもまた満たされた湖水と同じではなかったか。

葛川の明王院から急坂を登る。比良山地のその標高よりも、随分と登った感じがあったのはなぜだろう。土産に鮒寿司を買って帰るつもりだが、値段の割に美味しいものにはまだ出逢えていない。それでも無性に食べたくなるのは、酒を飲みたいからだと分かっている。

天然のニゴロブナを安価で販売する店を見つけて歓んで購入したが、帰省して開くと卵が入っていなかった。近江の地酒と言えば北島でしょうと、燗を点けて準備万端だったのに。