食塩泉の翻弄

小雨の中を駆けて会館に着くと、ちょうど散歩に出ていた秋田犬が帰ってきたところだった。思わず声を上げてしまったのは私ではなく、中年夫婦の夫の方で、そのあまりの可愛さに「このあとの予定は全部キャンセルして、ずっとここにいよう」と妻を説き伏せていた。

かつて鰺ヶ沢で見たときも、日景温泉や阿仁、秋田犬ステーションや千秋公園のふれあい処で見たときも、私は平静を装い、いつもしずかにわらっていたが、本当は先の夫のように本性を剥き出しにして、秋田犬ティーシャツとか秋田犬キャップ帽を被りたいのかもしれない。

だけれども意気地なし。大湯環状列石を南部鉄器で象った文鎮、その名もストーンサークル文鎮を次に訪れた際には必ず購入すると決めていたのだが、文鎮。書を嗜まないので文鎮、その用途をやっぱり見出せず、また見送ってしまった。

十和田の大湯温泉は一見にして地味だが、名湯の呼び声高き弱食塩泉で傷心をも癒やす。耳を澄ませば縄文人の声が、眸を閉じれば秋田犬の愛くるしいシルエットが、共同湯だけでなく温泉病院もある無何有の郷に映じられるが、無理だろう。石亀と雷魚の稚魚くらいしか飼ったことがない私に、どうしてワンコロの面倒が見られようか。

錦木塚という、謡曲にもなった名所があった。暗く痛ましい悲恋の物語であるが、謡曲「錦木」は生前の恨み節ではなく、死後に結ばれたことを喜び舞われる。執心を離れてこそ浮かばれるのだとしたら、やっぱり買わなくてよかったのかもしれない、文鎮。

森岳温泉は特急の停車駅だったが、温泉街は駅前になく、川を渡り沼を越えたところに閑散として現れた。ここにも温泉病院があって驚いたが、観光ホテルは古くさい造りで、フロントの従業員も古くさく(失礼)、なんだか話題まで古くさくって、逆に新しいノスタルジーを臭わせた。

それでも日帰りの入浴客は多いようで、宿泊客も歓迎看板を見る限り少なくない。寿司屋がおすすめだと聞いてきたが、間違えたろうか。イマドキ珍しいほどの烈しい電飾看板が要所で切れて歪に光っていたが、恐る恐る暖簾を潜ると、数組の客が巻き寿司を摘まんで穏やかに杯を酌み交わしていた。

お寿司とお酒をいただいて二千円と言われ、本当に時が止まっているのかと思いきや、夜の帳が降りた街にネオンが灯された。ホテルに戻る道すがら明るい方を覗き込むと、強烈な角度で側頭部を刈り上げた女性が、紫煙を燻らしていたのが見えた。おお、あれがママか・・・・・・。

大浴場で強食塩泉に浮かびながら、意気地なしを鍛え直すには打って付けかもしれないと、ブクブク湧いてきたのは何故だろう。

雨が上がった翌朝、一気に桜が開花していた。八郎潟の干拓地を貫く路は真っ直ぐで、どこまでも伸びており、その干拓精神を物語っているかのようだった。

山手線がすっぽり入るという広大な潟は、琵琶湖に次ぐ大きさを誇っていたが、それ故に干拓され一大穀倉地帯へと姿を変えた。大型のトラクターが埋まるほどの泥は入植者を苦しめたが、これもまたそれ故に養分が豊富で、大量消費時代にアメリカ式の大規模農業が実を結んだ。だが、減反政策のときのことは干拓博物館では語られていなかった。

私の地元では、干拓地を豊かな湿地へ戻そうと奮闘しているが、昨今の米不足による価格高騰もあり、いつまた一転するかしれない。秋田犬が大型化したのも闘犬がその理由だったのだから、自然にというよりは、人間はいつも人間に翻弄されている。

剥き出しの欲の皮を剥がしたところで、業の深さを計り知ることは出来ないが、その逞しさも、もしかしたら同じなのかもしれない。