二宮尊徳翁に「湯舟の教訓」というのがあるが、あれは翁の入浴歴が残る、奥塩原新湯の激熱湯を湯もみしながら思い至ったのだと、ずっと疑いもしなかった残念な温泉ファン。かき寄せた湯は自分の方へ一時流れてくるが、すぐにまた向こうへと流れていくように、奪うに益なく譲るに益ありというのがその意。
すべてのことが相対し、食うか食われるかと反発し合う世の中に、流動しつつも廻って還る一つの円を見出した翁の思想を、報徳博物館で改めてから大山を詣でた。
一家を廃して万家を興す、その至誠は一体どういう学びからきたものなのかと考えながら登ろうとするも、予想以上に登る登る道は、しかも寒波に凍り付いており、明らかな運動不足にぐらついた足元を掬っては転がし、常に懊悩する思考ごと打っ遣った。
学びってなんだよ! 逆上して外方を向くと、再び冠雪して春の雪化粧を施した美事な富士の峰が、相対する美しさの中で浮かんでいた。ああ、なるほど転ぶことでしたか。
様々な恩恵により成り立っているこの生命に、自分もまた報いなければ恩恵は成り立たない。徳を以て徳に報いる、荒れ地には荒れ地の徳があるように、人にもその人独自の徳が必ずある。すべてのことが相対するのだから、排除排斥するのではなく、一つの円に取り込んで考える。
成田山に参籠し、思想を熟成させて一円観に到達したという二宮尊徳翁に学べば、反発も逆境も、反対意見までもが恩徳として受け入れられるではないか。おお。なんだか急に、奥塩原新湯温泉に行きたくなってきた。