日本画の伝統である減筆体は、禅の精神と甚だ一致しており、孤絶そのもの。そんな内省の眼が開けているときに、蓄えられてある「豊富な宝」が眼前に広がるのだという。
多様性のなかに超絶的な孤絶性——日本の文化的用語辞典では、わびと呼んでいるものをわれわれは鑑賞するのである。わびの真意は「貧困」、すなわち消極的にいえば「時流の社会のうちに、またそれと一緒に、おらぬ」ということである。貧しいということ、すなわち世間的な事物——富・力・名に頼っていないこと、しかも、その人の心中には、なにか時代や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じること——これがわびを本質的に組成するものである。
ラジオ第二で放送されている『鈴木大拙 願行に生きる』のテキスト上巻から引いたのだが、こういうことを描くための題材とされたのが、「寒山拾得」ではなかったか。
経典を持つ寒山と箒を持つ拾得の風狂僧が、奇怪な笑みを浮かべている様子が描かれる寒山拾得。古くから日本画でも描かれてきた謎の題材を、現代美術家の横尾忠則が百点以上描いた。だから「寒山百得」展。最終日に間に合った。
画家は近年発症した難聴の症状により、視界までぼやけて事物の境界が曖昧になっただけでなく、腱鞘炎で明確な強い線も引けなくなった。身体的な自由を奪われたが、それにより絵画の技術から解き放たれて、より自由な表現「朦朧体」を獲得——。なるほど、癌の告知を受けた学者が、それ故に一気呵成に書き上げることができたという新著刊行の話を思い出した。病を得て余命を意識すると迷いも、余分なものもなくなった。だから、癌になって本当によかったと。
——朦朧としているから尚更に未完成のようであり、観る者が完成を考えさせられる。考えさせられるから面白いとは当たり前のことだが、これがまた抽象的だと現代美術特有の難解を連れてくる。けれども、そこは画家の明るい色彩が軽妙であるからして、楽しい。とても楽しいのだが、そも孤絶性のようなことを表すならば、どうして寒山は拾得とともに居るのだろうか。山水画に浮かぶ舟一隻のように、独りでも、いや独りの方が達観した全体を描き易いのではないか。
百ある中に寒山と拾得が融合し、もう少しで溶け合ってしまうかのような作品があった。実際にもFUSIONと記されていたが、それは割と明確な寒山拾得として描かれていた。確かに、矛盾する他者の世界を受け容れられない独りの世界とは、虚妄に過ぎない。その眼前には何も広がっていなかった。
存在として私が私である以上、彼もまた彼である。それは肉親であろうが知己であろうが、必ず相容れない存在として世界にあるのだから、寒山拾得はそのまま二人で描かれている。ようやく思い至るも、旧友の母が亡くなったことを、私は投函された喪中葉書で知ってしまった——