豚と名湯

落ち合った上州人に滞在先を伝えるも、「それどこっスか?」 ――新幹線駅からもっとも近い宿場であり、つげ義春がその寂寥を伝えて半世紀も経つのだが、湯宿温泉は未だに湯宿温泉のままなのだ

石畳が続く旧三国街道に変わらず湧き続ける、ピリリと熱い含石膏芒硝泉。熱いまま数件の宿と四ヶ所の共同湯に掛け流されるが、残念ながら現在観光客は共同湯での入浴が叶わない。それでも今年の温泉湯浴みを上州の名湯から始められたことを悦び、その湯の香を鼻を丸めて吸い込むも、鼻腔に充満していたのは豚の臭いだった。

麗らかな朝陽が薄いカーテンを透かして枕元に届けられたが、部屋は冷え切っている。身を縮めて広縁の陽だまりへと急いだが、カーテンまでも豚臭いではないか。未だに部屋の中も、そして浴衣の内も、名産と名物に乏しい上州の陶板の上で焦げついていた、昨晩の豚の知られざる執念を見たような気がした。

朝風呂には先客があった。円くて大きい湯船に差し込んだ陽が溢れて、光に揺らいだ湯煙の先に家族の姿が浮かび上がってきた。

熱い湯に子どもは顔を火照らしていたが、父親は眩しそうに、嬉しそうに、そして幸せそうに湯の中で目を瞑っている。辛抱堪らず、父親にまとわりついた子どもが見上げるや、その顔を不思議そうに眺めた。

「どうして目をとじてるの?」父親は応えるでもなく瞼を閉じたまま眉だけを動かした。「なんにも見えないよ」子どもはさらに首を傾げた。

「見えなくたっていいんだよ」「どうして?」「大切なことは見えないからだよ」「ふーん」

嬉しそうに、幸せそうに、鼻で奏でられた数え歌を子豚が唄い続く。ブーブーブー、閑かに賑やかな平和の中で私も目を瞑り、芳しいほどの湯の香を嗅いだ。