ややこしい帰路

帰省先からの別れも、またつらい。泣きべそをかいた孫が堪らず、一度乗車した列車から祖母の懐に飛び込んだ。涙の声につられてか、嫁も泣き出して、閑かに寄っていく。すっと胸を開いて、姑は嫁のことも抱き抱えた。孫よりもむせび泣く嫁を、姑が若干恥ずかしそうにしているのは、車窓越しに男が、鼻水をすすりながら見詰めていたからだろうか。

発車のベルが鳴る。まだ年端もいかぬ娘を抱き抱えていた息子が、列車の中から母に向けて何か言っている。笑顔で応えながら孫の頭を撫で、嫁の肩も摩ったが、それでも離れられない。そんなに簡単には離れられない。ベルが鳴る。娘も泣いて母を呼ぶ。娘を抱えた夫が大きな声を上げて、妻と息子を車内に呼び戻した。

「着いたら電話、させますんで。お義母さん」

ん、あ? 嫁じゃなくて娘だったの?? こうなると話は、別になる・・・・・・。夫以外の号泣を乗せて、上り列車は走り出してしまった。

さあ、色々あって、地震から一ヶ月。八戸線を目指してやってきた。久慈まで出て、そのまま三陸リアス線で盛、そこから大船渡線BRTに乗り換えて、気仙沼線の先で乗り残した石巻線の未乗区間まで、一気に駆け抜ける。鈍行列車で。今年もまた、ややこしい一年になりそうだ。

復旧した八戸線の久慈へ向かう始発列車に、ほとんど人は乗っていなかったが、行き違った八戸へ向かう列車は、まだ暗い時間にもかかわらず、高校生たちを満載していた。綿のように舞っていた雪は根雪になりそうだったが、いつの間にか止んでおり、ようよう白んでくると凪いだ浜を線路に寄せていた。

鮫駅で二人下車、誰も乗ってこない。大久喜駅で一人下車、金浜駅でも一人下車したが、誰も乗ってこない。角の浜駅でうら若い金髪の女性が降りて、いよいよ私一人になるところだったが、爺さんが乗ってきた。次の平内駅で男子高校生が乗ってきたので、ここが分水嶺かと思われる。八戸へ向かう学生と久慈へ向かう学生の。

洋野町の中心である種市駅で爺さんが下車、高校生五名が乗車。その後は小さな駅が続いて乗降のないまま、有家駅に到着。家が有ると書きながらも、海水浴場の臨時ホームのような駅で、「これは無家だろう」と車窓に笑みを浮かべていると、男子高校生が三人乗ってきたから驚いた。三人のうち一人が、熱心に乗降状況をメモに取ったり、駅名標を写真に撮ったりしている男を怪訝そうな顔で見詰めていた。

列車が大きくカーブして、通ってきた路を振り返させる。見事な台形に隆起した台地は海成段丘で、青カビの生えた食パンの上にバタークリームが塗られたようにも見える。

久慈から乗り換えたリアス線は、複雑に入り組んだ海岸線を走った。鮭鱒の遡上しそうな川が幾つも流れていたが、防潮堤や水門により河口は見えない。寂しい。新しい建物ばかりになってくる。海面は一段と穏やかになったが、慰めてはくれない。

乗車時間、十一時間とちょっと。柳津駅で日が暮れた。

行ったら帰ってこなければならないのが人間で、中心部へ向かったであろう高校生が、学生らしい輝きを充たして帰路に着いていた。中心部から秘境へと向かい、そこから生還してきたような逞しい高校生は、また違う輝きを放って帰路に着いていた。

なんでもいい、帰ってきてくれさえすれば、それでいい。親の気持ち、そんなのは私にはよく分からないが、気仙沼線と石巻線が接続する前谷地駅で、小牛田行に乗り換えた。