ノッてる。最近ノッてるというより、乗りまくっている――。一週間と置かずにそわそわと落ち着かず、また行くのといった冷ややかな視線を躱すべく、家族を寿司屋に連れ立った。ランチが驚きの低価格ということで、それ故になんだか入店し辛かったのだが、すし種は悪くないばかりか厚切りで、お腹いっぱいの大満足。これでこの価格はお見事だと讃えれば、「他の店が価格を上げすぎなの」だと反骨の大将。
実は大変なおしゃべり好きと見えて、あーでもないこーでもないと、興に乗じて終わらなくなってしまったのだが、鉄道の旅も同じく、乗らないと終わらない。だから乗るしかないのだと託けて、また旅支度をした。
季節は一気に進んだようで、コートも持たずにノリノリでやって来た私に、北上山地から冷たい風が吹き付けてきた。

思いがすれ違ったかのように、花巻駅を出発した釜石線の普通列車は車窓を逆流させた。すぐに向き直そうとするも、ボックスシートの向いには気難しそうな老齢の男性客が座っていた。苦虫を噛み潰さなければ生き抜かれない、そんな高齢化社会の世相を反映させたまま、今日日のローカル線は走っていく。遠野から先の釜石線も、東日本を代表する赤字路線と聞いていたが、遠野を過ぎても車内は満席のままだった。
長閑な風景が一転して、いよいよ野趣に溢れてきた。大きく輪を描いて峡谷をへつり、かつての賑わいが嘘のように眠る、産業遺産の中を振り返りながら行くのが、今やこの路線の醍醐味である。環境破壊と経済創造、そして栄枯盛衰があって、最後にはローカル線ごと呑み込まれていくまにまに、何を考えるべきかと胸にしてきたのだが、如何せん後ろ向きのまま進んでいくのだから、盛り上がらない。後ろ向きでは、振り返ることもままならない――。
そんな示唆的な眼差しが、向いに座って頑なに進行方向を譲らなかった、気難しそうな顔の中に開かれていた。後ろ向きの私は危うく見逃してしまうところであったが、よく見ると、目を開けたまま眠りに落ちていただけだった。

宮古で、浄土ヶ浜という銘菓を土産に買ったが、当然そこには行っていない。今日も朝から列車に乗りまくる。というか三陸まで来ると、乗りまくらないと帰れない・・・・・・。
三陸は温泉地ではないため、訪れる機会を逸していたが、閉伊川は岩手の渓流釣りの大右翼。この辺りの本流支流は盛岡からも遠いため、全渓流人憧れの水流だということをついさっき、地図で山田線を追いながら思い出した。
旧山田線を通う三陸鉄道の車両が幅を利かせる中、緑のラインが異彩を放たない、いつもの、ありふれた気動車が山田線を行く列車で、本日は快速リアス号として運行する。称号を冠したその姿は、大海から遡ってくる勇ましい鼻曲がり鮭のようではなかったが、山田線は日本屈指の赤字路線であり、その大本山である。
近年は意図的にバス路線に乗っ取られ、甘んじて本数を減らしているので、釜石線でのこともあり、私は早くから改札に並んだ。が、乗客は数える程だった。

亭々たる山並みの渓間を羊腸のように走っていく、そんな大自然路線かと思いきや、山田線は閉伊川と手を携えて緩やかに併走していった。
わたしゃ外山の日蔭のわらび、わたしゃ外山の野に咲く桔梗と、謡う長閑さには捨てがたい人情があり、人煙幽かでもローカル線は迎えにいく。学生は減少の一途をたどるだろうが、お年寄りは川を遡る鮭より多くなるこれからの時代に、やれ営業係数が五千円だ一万円だのと、そんな合理主義によって私たちは、元来の優しさまで失ってしまうのか。
それでも都会への集中と高騰する地価、物価に甘んずるというならば、どうぞご随意に。そう遠くないうちに、ここから熊、送り込まれますからと、そんな会話が車内から聞こえてきたような。

山田線応援に仮託して、釣り竿を携えての再乗車を誓った私であったが、気掛かりなことがあった。さっきから、列車が停まらないのだ。いかに快速と言えど、走りっぱなしで一時間は過ぎただろうか。その間にも、素晴らしい渓流が開けていたものの、山田線には降りる駅がない・・・・・・。
区界駅を後に山田線は、いよいよ山深く、野生の中へと戻っていく。衝突しなければいいのだが、熊と。
