葛藤の終着駅

葛藤。それが描けていないと振り返るも、そもそもそれがよく分からない。ハードコアパンクを標榜していたとき、CONFLICTは割と好きなバンドだったけれども、今の私は一体何に悶え、どうしてこんなところで佇んでいるのだろうか

東北本線の利府駅は、釣り鉤のカエシのようなところにあった。何の用事もないため、折り返しの電車に再び乗車して戻ると、今度はあおば通駅行きに乗り換えた。乗車時間は一、二分ほど。地下駅から這い出てきて、歩いて仙台駅に戻った。これを葛藤といえるのか知らないが、鉄道全線完乗を志したからには、こういうことに悶えていくことになるのだろう。

上文のような理由で、仙石線ではなく仙石東北ラインで石巻へ向かった。石巻駅から女川駅までは未乗区間。牡鹿半島は訪れたことがなかったので、その風光を楽しみにしていたのだが、保守工事の期間に当たってしまい、女川へ到着後すぐに折り返す便を最後に夕方まで運休となっていた。滞在時間、十分未満。それでも万石浦の内海の輝きに慰められた、ような気がした。

石巻線の前谷地駅で、気仙沼線に連絡する一両の列車が私を待っていた。私を待っていたとは偉そうな、自惚れるなと叱責されそうだが、運転士以外、誰の姿も見えなかった。ローカル線の存亡問題をありありと連絡させた、無人駅での邂逅だったが、旅行者にとって、これほどドラマチックな演出はなかろう。しかし、ここで乗り換えてしまうと小牛田までの僅かな区間を、また乗りに来なければならない。何のためにか・・・・・・。

 

列車は平和を絵に描いたような穀倉地の中を走って行き、のの岳という非常に愛らしい駅で、どこに居たのか、小さなおばあさんを降ろした。だけでなく、その次の駅ではヒジャブを被った若い女性も降ろした。

柳津駅から気仙沼線はBRTとなる。もはやレールのない路、しかも現在は自動運転の実験中とかで、「国道を走ります」とアナウンス。おい、それでは完全にバスではないかという私の嘆きをブオーンと掻き消して、バスは国道を走った。二時間近くも。

ようやく気仙沼駅に到着したが、大船渡線のBRTは盛駅まで続く。それはまた今度にして、一旦、鉄道路に戻ろう。

 

霜が降りていた。始まりを告げるような冷たく澄んだ朝日に、冠雪した岩手山が染まる。北上川は鮭が遡るだけでなく、昨今は熊まで歩いているらしい。花輪線でしばらく岩手山につきまとうと、光りに反射して、秀麗な姫神山の姿が車窓に映り込んだ。姫神山に登ったときは曇天で分からなかったが、なるほどいつも岩手山と向かい合っている。花輪線が裏側まで回り込むと、岩手山は八幡平に繋がっていた。

登った山を見ると、どうして嬉しいのかは、よく分からない。でっかい魚が釣れたときや素晴らしい景観に出逢ったとき、どうして人は生きる歓びみたいなものを強く感じるのだろう。

落葉の安比高原を列車は登っていく。登っていくと次第にエンジンは唸り、すぐに空転の悲鳴を上げだした。車輪空転の事態に私は手に汗を握り、頑張れ花輪線、頑張れ! 揺れる車内から声援を送る他に、何の術を持たない私の横を車掌が通り過ぎていった。地に足をつけたように踏ん張り、動じることなく検札の業務をこなしていく、そのショートカットの車掌は、スピードスケートのメダリストを彷彿とさせただけでなく、遠野へ行ったときの快速列車で検札された記憶まで呼び起こした。そうか、釜石線もまだ残っていたか。

 

終着駅の大館で、出迎えてくれた本日のワンコロは光子。普段は元気いっぱいとのことだが、拗ねる日もあるだろう。どうしてもこっちを向いてほしいと、哀願する中年ほど面倒くさいものもないだろう。

葛藤、どうして私はそれがまだよく分からないらしい。