はい、レール。と言って、観光列車のアテンダントはシャッターを切った。千曲川を慕い、ぐるり八ヶ岳連峰を追いかけて走る、というよりは登る高原線(ハイレール)だから、車窓は絶佳となる。JR最高地点である野辺山の駅舎には、何やら仕掛けが施されているらしく、多くは我先にと飛び出して行ったが、慌てない乗客は最高地を記す碑に並んだ列車と一緒に、はい、レール。再びファインダーの中に収まり、相好を崩していた。
どうして中々、素晴らしいローカル線であり観光列車であると感心して、思わず笑みが漏れるとお酒の量も増え、トイレも近くなった。停車中に済ませてしまおうと「あける」の釦を押すと、ゆっくりと開かれていく扉の向こうから老齢男性の顔が覗き、しかもその顔がまさに最高地点へと放たれた直後の爽快感で溢れているではないか。
はい、レール。開けた方も開けられた方も互いに固まったが、高原らしからぬ臭気に、私はいち早く我を取り戻し、踵を返してデッキを後にしたが、「しめる」の釦を押したかの記憶は曖昧であった。

小海線は岩村田や中込へ佐久の鯉を食べに、また八ヶ岳縦走の折りにも乗車していたのだが、故に半端な感じで乗り残され、鉄道全線完乗を志してしまった今となっては、そういう箇所が喉に刺さった小骨のように引っ掛かる。青梅線の御嶽から奥多摩くらいならまだしも、吾妻線の万座鹿沢口から大前までの乗り残しなどというのが、非常に嫌らしい。というか、馬鹿らしい。
なんとも馬鹿らしいが、それでもスタンプラリーのような自己満足にしないため、観光を再考しようと訪れた懐古園の奥に小山敬三美術館を見つけ、終点の小淵沢から下った松本では石井柏亭の展覧会を見つけた。浅間山麓を、安曇野を、北アルプスを描いた画家たちの切り取った画角、対象とした風景には何が描かれているのか。なんとか読み取ろうと、意気込んで鑑賞するも・・・・・・。
大糸線も同じような理由で乗り残しが多かったが、このローカル線にも週末は観光列車が走る。千曲に出逢う前の梓川は清冽で、その水を集めて下す後立山連峰は言わずもがな雄大だったが、行楽日和に合わせてくれたかのように冠雪し、一際凜々しくそして美しく、観光列車の大きな車窓を飾っていた。
途中から地元のボランティアが乗り込み、穂高神社への参拝に沿線ガイド、車窓から望む山並みまで丁寧に説明してくれたのだが、知ってますよ。安曇は綿津見神の転訛でしょ、そしてあれは爺ヶ岳ですよ。あれもこれも知ってますよ、と知ったような顔で車窓を振り返るも、山河あり。・・・・・・私は今迄、何を切り取り、そこに何を見てきたのだろうか。
JRも西日本に交替し、大糸線もいよいよ北陸路へと下っていく。千曲川は信濃川となってまた別の場所へ到達するが、行き着く先は結局どこも寂しい。それでも、いやそれだから、陽の沈む前になんとか糸魚川へ着きたいと思うのだ。
最後に乗り継ぐ一両の列車がホームに入ってきた。その寂しさは曖昧だが、どこか絵画的であった。







