こころの病だと、旧友に打ち明けられて、さてどうしたものか。考えても、考えてもよく分からないのだが、どうすればいいのか分からないのであれば、考えるしかない。机の上に積まれていた本に助けを求めてみるも、『闘うガンディー 非暴力思想を支えた「聖典」』にこの場合の示唆はなく、というか面白すぎて、夢中で読み進めてしまったではないか。
考える、只管没入するために。既にこの時点で、本末が路傍でズっこけていたことには気付かず、「そうだ、ローカル線に揺られて行こう」ゆっくり考えながら行けばいいのだと飛躍して、今季最終日の青春きっぷに間に合った。飯山線から篠ノ井線、中央本線で湯村温泉。翌日に身延線で、まだ訪れたことのなかった身延山久遠寺の菩提梯を登る。
久遠寺の三門を潜ると、垂直に掛けられた梯子のような石段、菩提梯に観光客は疎か、信者たちも戦いていた。
辛い登りで煩悩を滅すれば、覚りに至る悦びが生ずるというのは、登山に同じく。全国津々浦々の山に登ってきた私だから、そこは余裕を見せびらかしたような得意顔で登っていくも、ハアハアぜいぜい、なんとか登りきったのだが、そのまま本堂でぶっ倒れ、しばらく立ち上がれなくなるという体たらく。覚りは遠い。
残暑が酷暑なのだという言い訳の脇を、奥之院を目指す登山者が軽やかに駈けていった。とにかく面倒臭がりの旧友には、登山の楽しみは分かり辛いだろうか。魚釣りにも今一つ身が入っていないようで、没入出来ることが少なく、故にこころの病を自覚したのかもしれない。
それでも旧友は、夏休みの珍道中を語る友人たちの挿話に聞き入っていた。貯まったマイル消費のために乗り込んだ函館行の短い航路だったが、突然の天候不良で旋回を余儀なくされ、結局は新千歳に戻されてしまい、急遽宿泊することになったホテルがドミトリーで、まるでかつてのユースホステルのように、到着と同時に酔っ払いみたいな旅人に取り囲まれた。話を聞かせろと。
もう最悪、という笑い話に向けられていたのが、羨望だったとしたら――。ん? そうか、これだ!「鉄道全線踏破」二万キロを超える鉄道路を、ユースホステルや場末の酒場なんかで交友しながら、一緒に旅することで克服する。
これだこれだと鉄道路線図を広げて、自らも自分の軌跡を朱ペンでトントン塗り潰していくと、「え? 俺、そんなに乗ってたの・・・・・・」強ち無謀な旅ではなさそうだ。
都心に戻ってきて、京葉線に乗り込んだ。夢の国へと向かう人たちを多く乗せたそれは、まさに煩悩の塊みたいな路線だったが、千葉県立美術館で開催されていた「高島野十郞展」の展示作品には、煩悩が滅せられた対象が描かれていた。
風景画は緻密に描き込まれ、静物画は浮き出るような質感で塗られており、とくに静物画は岸田劉生の画法を完璧に会得したような光りに充ちていた。が、それだけでは結局、岸田劉生は凄い、という印象が強く残るだけなのかもしれない。実は日本画、仏画向きだったのではと、孤高の洋画家に思うと同時に、改めて個性という最大の壁を感じずにはいられなかった。
出そうとすれば煩悩に、それでも乗り越えようとしなければ没してしまう。もちろん、危険を冒したから強くなれるとか、克己的だから孤高になれるというのではない。きっかけを多くすることで、きっと変われるのだと信じたい。