(つづき)かつて人力によって切り出された木材は、馬力によって川まで運ばれ、筏を組んで流された。二次林として再生された森だったが、今でも南アルプスは山深く、静かな緑が雨に煙っていた。
樹林帯の登山道といえども、冷たい雨には変わりない。五時間も六時間も、縦走テント泊の装備と五泊分の酒食料、おまけに文庫本まで積まれて登る体から、すっかり熱を奪っていった。こんな日に登るやつがあるかと相当なぶられたが、雨は止み、秋のような爽やかな風に吹かれて助けられた。
山小屋に到着していた登山者の中には、寝具を頭まで被って縮こまり、いつまでも歯の根が合わない様子の者もいた。

一夜明けて、天候は予報通り悪化。雨も強く、風が一段と吹き荒れており、屋根を容赦なくドンドン叩いた。山小屋のすぐ上は稜線で、勇んで出ていった者も少なくなかったが、還ってこなかった者は文字通り、引き返してきた者は漫画のようにずぶ濡れだった。
下山することもままならない状況なのだが、山小屋での停滞は「予約のない宿泊」とされ、加算された宿泊料金の請求権が生じるらしく、賞与全然良くなかったのに自宅の修繕費とかかさんじゃって、おまけにほら中古車も買ったじゃないですかと、そういう事情が酌まれることは一切ないらしい。無慈悲にも、日毎に加算請求。現金をせびる小屋番の瞳に映るのは、困り果てた登山者の顔ではなく諭吉、今は栄一か。
停滞二日目の夜、財布は薄くなっていくのに、一向に希望が見えてこない。なにより届きそうで届かない山頂稜線への鬱憤を見兼ねて、小屋番による登山教室が開催されるという。その内容はズバリ「八千米峰で高山病にならないための呼吸方法」。驚きつつも見合わせた受講者の中には当然、八千米峰を狙う登山者など一名もおらず、ただの自慢話として聞かされてしまった。
そんなことよりも明日の天気だ。例えば風の弱まる時間帯だとか、少しでも風に対して有効な歩き方などを教えて欲しいというのが総意だったが、「わ、私たちの会社も頑張ってます!」と聞かれもしないのに小屋番は反論。料金が高いのは林道の整備がなんとかだとほざいていたが、それは県とか国の予算だろうに。思い起こしてみれば、貴重なヤマトイワナの生息域を他種の放流という事業で侵したのも、この土地の大バカ漁協だったではないか!
先の二次林もそう、今はリニア利権の金鉱山、変わらず金脈だってことだ。ちょっと待て、すると種々様々な障壁は、識者でもある愛好家の入山入川を拒むために、最初から仕組まれていた――
*
ずぶ濡れ鼠で下りてきて、ロッジのレストハウスで復路の林道バスを申し込むと、呼ぶまで待てとの指示があった。ああ、レストハウスの中で待っててもいいのねと、濡れて更に重くなったザックを降ろした私を、受付口から覗き込む顔があった。
「なんか買うてくれはったらええですよって」
ば、ババア・・・・・・。