人形だから典型を描ける

東西の要衝、南信州飯田と言えば人形劇の町、の前に腹ごしらえ。元力士の営む食堂には貼り紙が貼られており、なになに、本日大相撲初日につき汁物は塩ちゃんことな! おお、やったー、妙に得した感じで早くも満腹って、飯田まで来たのならそのまま名古屋場所へと物言いが付きそうなところで、もう一つ入口に貼り紙が。――本日満員御礼。

人形は代用品ではなく、人間の典型を描く――。ようやく訪れることが出来た「川本喜八郎人形美術館」で、からくりの詳細と動かし方を説明してくれた学芸員によると、人形の顔は左右対称ではなく、それ故に表情豊かに動かすことが出来るという。なるほど、僅かに傾かせただけで表情は裏返り、見事に内面が映し出される能面と同じである。

小面など、女の面の口元は微笑みを浮かべたように開いているが、その裏側には般若が隠されている。隠すということは、表すということ。言うに言えないような悲しみが上塗りされていることを、人間を象ったものは誇張し、分かりやすく伝える。おまけに動いて話して演じるのだから、絵画や写真よりもはっきりと描かれる。

会話をする人形特有の「切り込み」が口元になくとも、川本喜八郎の人形はしなやかに科白を述べる。口元に動物の薄い皮が張られているとのことだが、平清盛や武蔵坊弁慶の、あの動く眉毛には、切り込みがあるじゃないかって、野暮なことを言いなさんな。あれが愛らしいのではないか。

特徴を捉え、それを典型とすることで、心境を如実に想像させる。老若男女を問わず惹き付け、またこんなにも分かり難く複雑化する現代に、人形劇ほど打って付けの芸能はないと感慨を深くしていたのだが、館内は終始静かだった。