このあいだー教えてもらった温泉ーすっごい良かったですー。でしょー。へ、山にも行ったの? あそう、それは良かった――。いつから聞耳を立てていたのか分からないが、ずっと黙っていた若人が過敏に反応し、もはや居ても立っても居られない様子で割り込んできた。「や、山とか、登るんですか」
父親に連れられていた頃は嫌だったが、独りで登るようになってからは楽しくて堪らないらしい。雪解けの進む東北の山へ行きたいが、有休を取得するか迷っているのだと、あの山この山と話が弾み、さっき登ってきた秩父の山の話になった。「さ、さっき?」
沸騰する昨今は初夏から熱中症の危険を孕むが、ゆえに少しでも暑さに慣れておきたいと皆野アルプス縦走。気温だけでなく湿度もぐんと上がった日に、低山に迷い込んだ私の貌は死んでいたが、森の中ですれ違った老齢の女性登山者の、そのいきいきとした、言葉には出来ぬほどの快さ、嬉しさを爆発させて登る表情に触発されて生き返った。
だからね、お行きなさい。仕事なんかしている場合じゃない。忙しいとか、何だかんだ登る前は言い訳じみた言葉になって出てきてしまうけれども、下りてきたあとは言葉にならない、言葉にはしなくてもいいほど充ちるから。あ、俺、来週から南部だったわー。「・・・・・・」
都を離れる前にジュアン・ミロ展を鑑賞した。難しいと思っていたミロの絵画だったが、言葉にするのを止めてみると、快不快が直に伝わってくるようになった。始めに言葉ありきとか我思う故にとか、もちろん言葉なくして理解することは出来ないが、まさにそこだった。
そうそう、そういうこと。温泉なんか、まず体で感じるでしょ? 同じことで、樹を観て樹と思わないようにするって、そういうことよ。