円空仏の美術展を観たあと、今度は木喰の里へも行ってみようと思い立つ。が、地図を見てすぐに翻意する。下部温泉方面へ行くのなら、七面山に登れば、宿坊で参籠体験が叶うではないかと。
昨秋の笠ヶ岳を最後にまるで体を動かしていなかったので、低山から登り始めたが、数分で喘ぎ、異常な程に発汗し、最後は落涙して山頂を踏むという体たらく。向かいの筑波山には叱咤されたが、それでも眼下に広がる水郷の春に激励された。
そんな穏やかな常陸国に生まれた、雪村周継の展覧会が開かれていた。「雪舟在西辺、雪村居東極」と後年に雪舟等楊と対をなしたが、都で周文に絵を学んだの対して、雪村は特定の師に学んだ形跡がないという。
独学といえども臨済宗の画僧であったことが、遊歴のうちに学ばせたという考察の通り、円空も木喰上人もたどり着いた先での学びを、導かれているように感じたのではなかろうか。鎌倉にもアルプスがあるとかで、知らずのうちに大本山建長寺へとたどり着いた、わ、わたしのように・・・・・・。
建長寺へと下りていく急な石段に、膝が笑い始めた。駅から車道を通ってくれば数分なのに、どうして真っ直ぐ来られないのか。木仏が湛えた微笑みの意味も、山水画に描かれた静寂の行方も、考えたことはなかったが、今さら七面山に登り、参籠する必要性を問うてみる。
遊歴しても、立ちはだかるのはいつも矛盾ばかり。ということは、その中に導かれたのだ。