あるロッカーのサスペンスに

「紐」にしか見えない情夫は、ロン毛に革ジャン、ロンドンブーツといった、今どき珍しいような古典ロッカーだった。小柄な女もまた、年甲斐もなく染めた赤毛を燥いだ甲板で乱していたが、情夫の眼は嬉々としたその女の姿も、庄川峡の景観も映してはおらず、とびきり大きな女のスーツケースを目測していた。

サスペンスな戯曲を数多送り出してきた、大牧温泉。船でしか来られないが故に、舳先が湖水をかき分けるよりも先に、勝手な想像が事件性を孕ませる。女の体を折り畳んで湖の中に放り投げれば、浮いてくることはあるまい・・・・・・。

長夜を過ぐるうち雪に変わるだろうか。極めて薄くだが香る湯煙の先で、氷雨が湖面を叩いていた。闇の音に忍ばせて、湯舟に人影が見えてきた。胸元にタオルを当て、長い髪を耳に掛けたから驚いた。こ、混浴――?!

はたせるかな、ロッカー情夫。ちょっと残念に思いつつ、そのロン毛もさることながら、線の細い華奢な体つきは見事に病弱だった。アラやだ、脱いでも古典的。だが、そんな男に犯れるのか。もっとこう脂がギラギラ、なんだったらガソリン油で温泉郷ごと爆発、くらいがロックではなかろうかとの期待をよそに、庄川の湯の中には癒やしが溶け込んでいた。堪らず、これには犯る気も失せてくる。

トイチントイチン、トイチンサー。鼻歌交じりで食事処へ向かった。食材の宝庫である越中の、十品を数える会席料理が所狭しと並べられていた。どこからか笙の演奏が聞こえてくるようであり、周章てて浴衣の襟元を正した。五箇山の地酒三笑楽に燗を点けてもらうと、悪くない。極めて薄くだが山吹色に輝いた杯に逆さに映ったのは、それらしきモノを喰らった直後のように、うな垂れている男の姿だった。長湯して湯あたりしたのか、それとも急な栄養補給に体が馴染めなかったのか。まるで雅楽のような贅を尽くした料理より、ロックなのはそう、残飯だ。

楽しそうに喋りまくる女を正面に置いて、俯いたまま逡巡しているのかと思わせて、男は真ん中で締めてしまった浴衣の帯の、キマりの悪さをしきりに気にしていた。ああ、革ジャンのベルトって締めることないものね、クスッとしたところで戦慄が走った――

部屋の鴨居に帯を渡して引っ張れば、力はなくとも絞首刑にできる。しかもその手法は紛れもなく、ロック――。

朝になると冠雪しており、静寂に包まれていた。ダム湖には発電所があり、当然谷沿いには道も付いている。源泉は湖底に沈められ、観光旅館用に汲み上げられているのだから、本当は馬鹿馬鹿しい。昔の私だったら声を上げていたかもしれぬ。ロックではないと。しかし、復路の船を待つ観光客たちの声をもかき消した景観には、渓谷の閑かさが確かに鳴り響いていた。

音のない世界が俄に波立った。幻想から現れ出でた舳先が汽笛を上げて接岸すると、乗船場の階段を男は独りで降りてきた。とびきり大きなスーツケースを、さも重たそうに引きずって。

その中から帯のような物がはみ出していた。あ、紐。じゃない、帯、出てますよ。出船を告げる最後の汽笛が上がった。男はギョッとして、なぜだか革ジャンのベルトを締め出したサスペンスの向こうから、赤毛を振り乱して女が走ってきた。

「はぁ、はぁ、すっごい、きれいだよ」

よろめきながらもスーツケースを甲板に上げると、男はその細腕で女の手を引いて抱き上げた。

今はまだ食べさせてもらわなければなるまいが、オレのロックが売れたら今度はオレが連れてきたるでえという男と女の、いささか古典的ではあるがロッカー然とした、その心意気を賞賛して、私は筆を措きたいと思う。