縄文擦文オホーツク

獣の毛皮を剥いで横取りしたから、人類たり得たのか。ん? そも体毛で被われていたのではなかったか? どの段階で体毛は薄れ、そして狼藉を働き、こんなに身勝手な時代を築いてしまったのだろうか

知床連山に登ると雲の海原に頭をもたげていた爺爺岳、そして散布山という、北方四島の山をはじめて目にして嘆息するも、「え、あの山はなになんですか?」と、行き違う登山者たちが放ちながら駆け上がり、そして駆け下りていった。

何用あって北海の僻地で、私は圧倒され、佇立しているのかしらん。ことに最近はもう、なんだかよく分からなくなっているのだが、盆休みの観光客が求めたアイスクリーム、それが溶け出したような余暇に光りを観ることだけはないだろう。って、クマがいる。ん? おお、熊! 羆! カムイ、恐ろしく大きいではないか・・・・・・。

さすが、というかなんというか。登山者が大挙して登っているというのに泰然自若、ごく普通に山道を闊歩する貫禄は王者の魂。けだしジャイアントな強さは、北方の大陸から渡ってきて、今、目の前で躍動しているそれが確たる証ということだ。青函トンネルに入るとその功績を称えるアナウンスが流れるが、蝦夷と本州を陸続きにはさせなかった深い津軽海峡により、交配することなくこの地で独自性が保たれた。北方四島にはなんと、白い体表の羆までいるらしいよ。

稲作に適さなかった寒冷地は、オホーツク文化に擦文文化という狩猟採集を中心とした営み、すなわち縄文が続いてアイヌ文化へと変遷する。神神の世界から肉と毛皮を纏い、人間の世界へとやってきてくれた動物を、授かるようにして受け取ってきたアイヌと、農耕により管理制御を実現し、新たな概念の下に繁栄することになった弥生とを比較してみる。可視化した富が生まれた方には争いが生じ、支配は自然だけではなく人間にも向けられた。

出来るだけ一緒に行動しまひょうと、膝だけではなく口元までおぼつかなくなった登山者たちが協力、そして団結すると安心に繋がった。比べるまでもなく体の弱い人類、でもそれが強さとなった。

登山道は長く、次第に年配の登山者のペースが落ち始めていた。休憩がてらに話を聞けば、十勝岳に大雪山、それから阿寒岳に斜里岳と、連日に渡り登山を敢行しているという。年齢を伺って打っ魂消るも、どうしてそんなに急ぐのですか。「きっとこれが最後になる」だからどうしても、登りたい――。

昨日は屈斜路湖のコタンアイヌ資料館と横綱大鵬記念館、からの川湯温泉という登山休暇を挟んでの知床だった私は小さくなっていたが、「実は俺、昨日も登っていました」と中年男性が大きく出た。すでに百名山を踏破しているという中年男性の挑戦は、今日で五度目の羅臼岳。あら近所の方でしたか。否「三河者です」。み、三河衆が何故このような僻地の山で? しかも五度目とは一体――。「天気のいい日に百名山を登り直しているのです」

利尻島以外、明日の予報は広くぐずつくと出ていた。だから下山後に夜通し走って、朝一のフェリーで渡るつもり。ただし道内の夜間走行は特有の危険を伴うらしく、過去に三度も鹿と激突していると中年男性は笑って周囲をどよめかしたが、青ざめていたのは私だけだった。

自制心を失ったかのように走り出して、もはや止まれない。どうしてこんなに身勝手な時代を築いてしまったのかと嘆くも、まだ間に合う。きっと間に合う。そうでなければ、何故この広大な北の大地で、しかも登りのきつい山復山を眼前にしているのかを私は説明できない。なぜ私が人間なのか、説明できない。

然別峡温泉で慄き、屈指の温泉である雌阿寒温泉では、希少な正苦味泉が濃厚な硫黄にブレンドされた、大変複雑な弱酸性の源泉に卒倒したのも同じである。ああ、導かれてきたのだ。導かれて私は、この地で光りを観ているのだと受け取り、改めねばならない。