陸奥雑記

もはや「若手」が「岩手」に読めてくるほど、どっぷり東北。しかし、平日だというのに、渓流は釣り人で大いに賑わっているではないか・・・・・・。南部岩手でこの有様なのだから、各地の渓流魚はきっと、常に釣鉤が流されてくる水の中で、怯えることさえままならない。

先日、琵琶湖の浚渫の話を聞いたのだが、そうか琵琶湖って海みたいだけれども、一級河川の扱いでしたね、えへへの返答が、

「いや、あれは海だね。海の扱いだね」

阿呆だった、完全に。なんだ、海の扱いって・・・・・・。これから虻が出てくるので、渓流釣りは一先ず休みとする慣例があり、これが川の恢復に影響しているのは明らかなのだけれども、どうしても釣りたいのか、電気式の撃退ラケットみたいなものを持ち出してアレするらしい。もうちょっと頭が痛いのだが、松下竜一さんになぞらえて言えば、「怒りていう、釣り人には非ず」まったく。

鎌田慧さんの『忘れ得ぬ言葉』が書籍化していたのを見逃していた。物事を貫いて観るために必要なのは、やはり叛骨精神だ。書店へ走り、読んで改めるべし。

白山一華が見頃の焼石岳を訪れるも、さすがは花の名山。随分と早い時間にもかかわらず駐車場を追い返され、仕方なく峠を越えていくロングコースを歩くことに。だが、陸奥然とした緑の森の路で気分爽快、やっぱ森サイコー! とは最初のうちだけで、すぐに閉口。復路ではうんざりだった。

碓氷峠は曲がった路が多くて面白かった、とは山下清画伯の放浪記だったか。種田山頭火師匠も「まっすぐな道でさみしい」と詠んだではないか。

河は本来、大きく蛇行して流れていくというのに、なぜ近道をして、どこへ向かうというのだ。山頂とは何か、竿抜けみたいな場所なのか。乞食やルンペンになれなければ、放浪すなわち自由の路は開かれない。

巨大なマーキングが峠道の真ん中に落とされていた。そのすぐ脇の茂みからガサゴソ、ガサゴソ――。と、まあ、駐車場を追い返されるくらいなのだから、熊は出てこないだろう。茂みから出てきた登山者がごっそり抱えていたのは根曲がり竹で、文字通り、根こそぎとっていた。

「これは俺のだからな」

それはきっと、そういうマーキングだったのではないか。これを横取りされては、里に出るしかない。

マタギが舞茸をとるときには、端が腐っていようが、根こそぎとるという。それは取り残した茸から養分を吸い取られないようにするためであって、取り残しがあると次年に大きく影響するからだ。

自然の恩恵を受けて生活する、智慧のある者の前には、哲学さえ意味を成さないのかもしれない。抗わずに生きていける、ただ一つの道ではないだろうか。