——寒山拾得が二人で描かれていることに、ようやく自分なりの解釈を得るも、私は投函された喪中葉書で旧友の母が亡くなったことを知ってしまった。
寺のかまど番をしていた拾得が寒山にその残飯を分け与えていたように、彼は「謎の郷土料理シリーズ」を山小屋や野営場などで拵えてくれた。自らが畠で育てた大根を届けてくれたり、大根菜を持ってきてくれたりと、何よりも私の母にいつも優しい言葉をかけてくれたではないか。にもかかわらず、私は一体何をしていた! そも私が何かの役に立ったことなどあったか!
ありがたい経典の巻物ではなく、無謀な旅のしほりを手にした疫病神よろしく、遊興に誘い出しては無明なる酒を強要。思いやることを忘れた自分勝手の末に、押されてしまった消印。そのとき私は、永平寺で寒干し大根を買い求めていたのだから目も当てられない・・・・・・。
会者定離、会う者は必ず離れる運命にあり、愛別離苦、愛する者との死に別れや生き別れの苦しみからは逃れられない。だとしても、大馬鹿者の私とて想像できる最大のかなしみ、それは一番最初に出会った人である母を亡くすことが、どんなに辛かったか。そんなときに一つの言葉もかけられず、痛みを分かち合うことすら出来なかった。
香典を携えて、雨の日に自宅を訪ねたが不在だった。夜に出直すも彼の車はなく、休日の自宅も火の気がなく静まりかえっていた。電話は憚られた。何れにしても遅すぎたのだ。すぼまってゆく丘陵地の坂路で、そのまま閉ざされてしまうかのように光は絞られたが、高台に建つ彼の実家の庭に穏やかな陽だまりを作って集められていた。
脚立に跨がり、縁側の軒にかかる柿の枝に鋏を入れている人あり。私に気付いて、笑みを浮かべて歩み寄る人あり。おお、朋よ! 我が拾得よ! もはや深く閉ざされてしまったものだと諦めかけていたが、開かれていた。それも胸襟なんてものでなく、大胆な全開、ズボンのチャックまで完全に開かれていたのだった。
我、人と逢う 人、人と逢う 我、我と逢う
道元禅師の言葉が導いてくれた再会。いや、再び開くと記すべきだろう。何よりまずは弔意を表してから、すぐさま私も全開にした。
澄み切った冬空に霊峰白山の見事な眺望が開けていた。二人で登った加賀禅定道の長い路を指でなぞる。日に焼かれ雨に打たれた苦しい登山行だったが、愉しかった。
悲しい哀しい愛しい。どれも、かなしい。どのかなしみにも裏側には優しさがある。その優しさが美しいのだから、かなしみを深くすることで美しさに立ち返ることが出来るのではないか。
眼前に広がる豊富な宝、それが何なのか。今は一点の雲もなく開けている。