人生即遍路、巻第九

また一人で遍路を歩いていくも、寂しいなどということはない。時折こうして、宗論を吹っ掛けてくる、法華経の徒が登場したりするからだ。

「俺、嫌われてんの。なんでか分かる?」

弘法大師はインチキで釈迦の教えに非ずだと、真言宗でもないのに遍路を歩いている、インチキお遍路にとくとくと正法を説き、敵意を剥き出しにして近付いてくる者がいたとしても、無碍にしてはならない。なぜなら、すべて私の世界での出来事だからである。

「あれ? お兄さん、分かってるね」

日蓮宗でもないのに七面山に登った私は、そこでの体験を興奮気味に話し出した。法華経の徒は若干面倒臭そうにしてだが、完膚無きまで論破してやろうという、先までの意気込みを狂わしながら相槌を打っていた。

そんな素晴らしい体験をしてきたというのに、今もまた。出逢ったお遍路仲間に触発されて、さっそく土佐の酒蔵探訪と意気込んだが、試飲で出された純米酒の味に伸びがなく、「これは一体どういうことだ」とやってしまった。なぜ飯米で醸したのか、その謎の酵母の系統を教えろと、返答に窮していた酒蔵の若人を慮ることもなく、酒粕から清酒酵母を取りだしたことや、自宅に麹室を作ろうとして家族に止められたことなどを、独善的に話して、気晴らしにしたのだった。

そんな私を、可哀相にと、法華経の徒は見てくれただろう。狂言「宗論」は、論破することに夢中になり、本来の目的を忘れた、宗派の異なる二人の僧の対立を滑稽に描く。宗論は激化し最高潮になったところで、互いに名号と題目とを取り間違え、どっちがどっちだったか分からなくなった。「法華も弥陀も隔てはあらじ」仏の教えはどれも、人間の幸せのためにあるのだから。

種間寺から仁淀川の大きな橋まで、気付けば一里を超えて一緒に歩いていた。法華経の徒は私に同じく、大粒の汗を額に流し、それを気持ち良さそうに拭っていた。このまま清瀧寺までと誘う私の手を、法華経の徒は優しく握り返した。「行きたいけど、帰れなくなっちゃうよ、俺」

行程はこの遍路旅で一番短い一日だったが、色々あって遅くなってしまった。私は今日の参詣を諦めた。

遍路宿の入口から紫煙が漏れていた。覗くと、女将らしき女性が煙草を燻らせていた。その隣りにいた外国の女性も吐き出し、更に奥にいた男の貌もぷかーっと煙の中にあった。煙から浮かび上がったその男の首には、襟元から入れ墨が伸びていた。

またやべえ遍路宿かと警戒するも、まったくそんなことはなく、閑かな古民家で、手入れの行き届いた広い一室を一人に宛がってくれていた。四国遍路の旅で最初に出逢った、お遍路姐さんがメモにして渡してくれた、おすすめの通りで、酷い入れ墨の男もとても愛想のいい青年だった。が、外国の彼女は、お父さんが浮気をしてお遍路に出るはめになったという。

食卓を囲みながら、皆で話をした。「坊さんなんです、自分」と白状したのは、女将ではなかった。まさかと思うが、酷い入れ墨の青年がうんうん、僕ですよ僕と、愛想のいいその貌を私に向けていた。隠しようのない入れ墨に虚勢を隠すことは出来ないはずだが、どこか恥も外聞もないように、超越しまくっている。それが当世の認識だとすれば、自分の身体を自分だけのものとして、誤認しているものと思われるのだが、「滅茶苦茶してたんす、自分」しっかりとした後悔が、やっぱり両親に向けられていた。

分かる、分かるけど、そう簡単に許せないよと彼女は、御坊の懺悔を合理的に切り捨てた。お父さんの浮気を、どうしても許せないらしい。それでも二人は馬が合うようで、行動を共にしてはいないが、一日の終わりに必ず同じ宿で再会するという。ちょっと運命的なものを感じるといって、「へへっ」と互いに顔を見合わせていたが、御坊が彼女の分も予約しているだけのものと思われる。

「お遍路さんが頑張って歩いてる。それ見るとかなしくって」

御坊は薄く涙を溜めながら、熱っぽく語った。悔恨を滲ませながら懊悩するのは、どうしようもない人間だからだが、そのことに気付けたことが有り難い。人間は愚かしいと気付かせる遍路は、かなしくも尊い道であると。

「さっきほら、お父さんがえっちらおっちら、坂登ってきたときも、泣きそーでしたよ」

はて? 今晩は私を含めて三名の宿泊だと聞いていたが、どこかの部屋で、御仁が休んでおられたか。

「うんうん、お父さんが。えっちらおっちら、ひーこら杖ついて、もー泣きそーでした」

吐き出された煙が波打ちながら、私の方に棚引いてきた。わ、儂のことかい!

月日は百代の過客にして。こうしている間にも歳を取り、周りは動き、時代が変わる。本当は何も変わらないのかもしれないが。第三十五番札所、医王山清瀧寺の朝一番の境内には、僧侶が二人いて、経を上げていた。勤めを済ますと、師も弟子もやっぱりふーっと煙草を喫んでいた。その姿をしげしげと眺めていると、ばつが悪そうにして急な参道を下りていった。

入れ替わりに登ってきたのは男女の先達で、大きな如来像の前で佇立していた私に気付いた女性の方が、「歩きで?」と発しながら、ゆっくりゆっくり近寄ってきた。女性の血色は悪くなかったが、医療用の仮髪だということはすぐに分かった。ここまでのことと、お父さんと呼ばれてしまったこと、今回の旅はこの寺で行を解くことを話すと、御利益を頂いての病気平癒、その御礼参りを兼ねていることも話してもらえた。

「必ず戻ってきて、結願させてね」と、短い出逢いの別れ際に、ぎゅっと両手を握られた。知らない人にそうされて、それで私はどうしてこんなにも嬉しいのだろう。本堂ではいつも戦争終結、世界平和と大々的に祈願したが、大師堂でこっそり母の健康を祈念していた。有り難いことに、母は至って健康である。だから結願が何のことかは分からない。分からないが、今度は足摺岬という難関が私を呼んでいる。正確には呼んでいないが、そういうことにしておこう。

高知駅まで戻ってきた。ここから特急南風号に乗り換えて、四国を離れる。ホームで特急列車の撮影をしていた、私の顔を覗き込む、嬉しい顔があった。昨日帰ったばかりのお遍路が、早くも四国に戻ってきていた。早すぎっ!