特集番組が放送される前に「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」へと急いだのだが、すでに長蛇の列。人混みが大の苦手、苦手のくせに私は、どうして山小屋に宿泊の予約をしてきたのだろう・・・・・・。
秋山の初め、というより夏山の終わりで、強い夕立に降られた。ずぶ濡れで到着するも、山小屋には乾燥室があった。濡れた衣類をテント内に吊すこともなければ、その中で自炊する必要もない。暖かい部屋に温かい飯、そして知らぬ人、人、人の盛況で、山小屋は大変な混雑だった。
大半は年配の登山客で、後期高齢者もいて驚いたが、どの翁もジムや体育館で鍛錬を重ねに重ねて、この山に挑みに来た。ただ、急勾配で悪評高い「新道」の利用は避けたという。そのところは私も同じく、大回りになった分、重荷で登るのが億劫になりテントは置いてきた。
「でも、新道で下るんでしょ?」
否、下山大回再、帰去来。
「・・・・・・嘘だろう、兄ちゃん」
ほとんど高齢者で埋め尽くされていた食堂に、響めきが起こっていた。翁たちは皆、決死の覚悟を持って新道で下るらしい。
深田久弥『日本百名山』を読み直すと、笠ヶ岳は来迎の多い山だとあった。雲中の山頂で来迎を待つも、未だ訪れず。この先もその先も、ずっと訪れることはないのかもしれない。それでも、振り返らないわけにはいかない。
どこまで来たかを確認するために登り、どこへ向かうのかを決めて下りる。年内中の百名山踏破を目標にしていたのだが、先日の北海道山行で考えを改めた。
田中一村の記念美術館は奄美大島にあるという。じっくりと鑑賞するために、私はまた理由を見つけてしまったのかもしれない。