若い魚

ランちゃんという若人が、メール本文の最後にハートマークを付けてくるから、気が気でない。これは夜の帳が下ろされた頃の話ではなく、むしろ白昼夢に近く、そりゃ昔は随分とそういった店に通い詰め、スナックのワールドカップを開催するに至ったが、だからそういうことではなく、業務メールに付いてくるのだ、ハートマークが。非常に嬉しいのと同時に、異常な悲哀を感じる。そういう歳になったのかと。ああ、ランちゃん――。

堰を切って溢れんばかりの流れを治めるため、建設中の水門と稼働中の堰を巡る、インフラ・ストラクチャー講義に参加した。どのようなときに、どのように流れ、どのように貯められるのかという治水事業は、釣り人にとっても重要で、また河川湖沼の状態を知ることが出来る、いい機会なのだが、その水門のデザインが、周辺の景観を壊さない「雁かり」の色合いで、好もしいというのは、ちょっと無理矢理だったか。

しかし、この地方は河川工学の第一人者を擁し、そこから派生している技術者たちが、自然環境に配慮しながら行う河川改修は、コンクリートで固められ、生き物が棲めない川を「つまらない川」とし、その障壁を一枚一枚剥がしていっているのだから素晴らしい。若い頃にこういう工学と出会いたかったぜ。

講演後に水辺を覗くもまだ季節は早く、水面は微風に揺れていた。この時期にも水草が茂る野池のことを思い出して、車を走らせる。昆虫の写真を撮る数寄者がいただけで、釣り人の姿はなかった。

水生植物が水面を埋め尽くせば、当然、釣りの障壁となる。生命感を隠し、居場所を特定させなくするのだから、釣りの難易度は上がる。絶対的に公正ではない釣り人と魚の関係性を、出来る限り対等に近付けて、対峙させようとする魚釣りの方法論だったが、釣り人にとっての悪条件はそのまま反転し、その理が最大の充実を連れてくることになる。

しかし、寄贈して頂いた新刊本には、「サイトフィッシングの達人」なる者が掲載されていた。見晴の好い、足場の高い所で「たも網」まで用いられていたが、これは大変なことで、提唱し続けてきた方法論が必要とする、技術ごと吹き飛ばされるだけでなく、その精神性まで軽んじられる危険性を孕んでいる。なにが危険かと申せば、簡単に釣られれば、簡単に終わってしまうということだ。

突然、野池の水面を割って出たのは、記録魚だった。震える手で、スケールをうまく当てられなかったが、目測一尺一寸。これを釣るには、相当な技術と、精神の集中を要することは言うまでもない。若い頃には釣れなかったぜ。

祝杯をあげるべく、酒を買いに海を渡った。が、島の酒ではなく、肥前や越前の酒を買う。越前には最近よく行っているが、当地では販売店さえ見つけられない酒が、どうして島で売っているのかは分からない。分からないが、島内では当然売れず、熟成を重ねていることは知っている。

滋味溢れる丁寧な酒質が、美事に燗上がりする。人生の機微を知らぬ若人には、到底醸せまい。ああ、そうか。だから私にだけハートマークを付けてくるのか、ランちゃんは。