氷見線は寒ブリを食べに行ったときに乗車したが、大牧温泉には城端線ではなく、新高岡から路線バスを利用していた。昔の自分に逢うことが出来たら、叱ってやりたいと今はそう思う。高岡の駅でぶるるんと唸り声を上げている国鉄キハ40系のタラコ色を見ると、やはり旅の気分は盛り上がる。城端線も数年後に第三セクターへの経営移管が決まっている。

春休みだからか、学生服に混じり私服姿の若い人たちも多く乗車していたが、下り列車で何処へ遊びに行くのだろう。砺波方面に若者を熱狂させる場所があったろうかと、首をかしげるのも束の間。というより一駅で多くの若者が降りていった。
よく晴れた日で、左窓には剱岳に立山、何より白く壮大に盛られた薬師岳の、美しいことといったら形容しがたい。いつまでも飽き足らず見惚れていると、油田という駅に着いた。越中はこんなに平和なのに、信じられないくらい世界情勢は危うい。だというのに私も、のんびりディーゼル列車に揺られて、日本の名山を車窓に並べている。
近い内に出掛けようと企てている四国遍路には、納札というのがあって、そこに氏名と住所と願いを書き入れて納めることになっているのだが、その「願い」というのが難しく、時世のこともそうだが、私的な成就などを願掛けしてもいいのだろうかと。
よく見ると納札には、最初から「天下泰平」と印刷されていた。悩んでいるうちに、終点の城端駅に着いた。上り列車には、私服姿の若い人たちが大勢乗車した。
越美北線の一両列車は、押すな押すなの満員電車のようだった。ローカル線に乗っていると、まざまざと高齢化を知らされるが、少子化というのは、嘘なんじゃないかと思うほどに中高生を見かける。クロスシートで四人向き合って坐り、みんなで馬鈴薯の菓子を食べていた一人の鼻が膨らむと、その指がそっとカーテンで拭かれた。凝視していた向かいの一人は叱るでもなく、自らもカーテンでそっと指を拭いていた。
霊峰白山は見えないが、割と雄々しい山が見えてきた。加賀禅定道で白山から荒島岳を目指した若き日に、勝原園地という野営場にテントを張ったことを思い出した。縦走三日目にして、その野営場で鯖寿司を握りだした旧友の雄姿は忘れ難く、その美味しさと楽しさは、今もまったく色褪せていない。
越前大野を過ぎると車内は閑散としたが、まさか勝原の駅で下車する人がいるとは思わなかった。すっかり暮れて、終点の九頭竜湖駅に到着。すぐに運転士は折返運転の準備を始めた。
始発の小浜線から霞んだ内海が見えてきた。美しい浜、三方の湖、そして小さな浜と走り過ぎていくと、若狭富士の端正な姿が水平線から屹立、屹立とは少し大仰か。思わず登ってみたくなる山だったが、原発が見えるだろうから嫌な気持ちなる。
東舞鶴から舞鶴線に乗り換える。駅舎には歓迎を伝える、地元高校書道部の書が掲示されていたが、かなりの草書おまけに絵画で、そこには街を象徴する港湾は描かれていなかった。多分これも上記と同じ理由と思われる。風光明媚な所に限って、似つかわしくないものが多いのはどうしてだろう。若い人の反骨、気骨をこの歓迎の書画から感じ取ったのは、私だけではないはずだ。
〽︎大江よいとこ岩戸の風が そよぐこの町鬼はない
土産に購入した最中の箱に音頭が書かれていた。若い人を鬼にしてはならない。絶対に。
福知山まで来たが、どれが大江山か分からなかった。観光路線である京丹後鉄道に烈しく惹かれるも、まだ先は長い。





