まっすぐな路は寂しい

「おまえといると仕合わせにならねえ」「おお上等じゃねえか」人気のない山中で、二人の山賊が胸倉をつかみ合う、狂言「文山立」だが、狂言は事件にしない。猛者同士、誰も見ていないところで果たし合うのは、ちと虚しい。それこそ犬死にだ。そうだ、遺書を書いてから死のうよと、山賊のくせに筆硯、紙まで所持しており、一度書かせれば筆が止まらないのだから、人は見掛けによらぬもの。

そう、人は見掛けによらず、山賊にだって家族がある。たとえ今はいなくとも、人は人から生まれたものだから、誰しも過日にはそれがあったのである。そんな彼らがなぜ山賊になったのか。何が彼らを山賊にさせたのか。そもそも山賊とは何か。書いた遺書を読み上げるうちに、妻のこと子どものことが思い起こされて、次第に胸を打つほど切ない謡いとなって見所に届けられる。短い謡いだが、それがあまりに美しくて、つーっと涙が頬を伝ってきた。狂言は笑いの芸能、だのにちょっと恥ずかしいではないかと、顔を掻くようにして頬を拭い、ちらと回りを気にしてみると、明らかに寄席だと思ってきたような婆さんの顔が、滝のような涙で氾濫していた。

武器を捨てて、手を取り合えば、それだけで解決できる。犬死に、そんなつまらない死に方をするために、生まれてきたのではない。武器を捨てて、手を取り合えば、五百八十年と七回りの平和が約束される――。山本家による狂言「文山立」。私は本当に素晴らしいものに出逢えていると、ちょっと自信を持って言える。

本当か、本当にここにきた理由を述べることができるのか、常陸太田。水郡線から間違えて、勝手な方向へと伸びてしまった枝の穂先のような場所で、その存在が鉄道完乗を目指す今は、大変な目障りであり、癪に障るとは随分な言い様だが、常陸のお茶と銘菓だという印籠型の最中を土産に購入して、滞在十分で折り返しの列車に乗った。水戸が好きで、常陸国こそ無何有の郷であると思っているだけに、この十分という滞在にコンフリクト。

新しい車両で福島駅に入線してきた阿武隈急行線こと、旧丸森線の列車に施された「A」の意匠は、阿武隈のそれだろうけれども、「アナーキスト」にも見えないことはない。奴隷根性、そういうのが染み付いているから、日本国民などという人たちが列車のクロスシートに短い足をぶん投げ、鞄をぶん投げて占有している。最近、鉄道に乗っていて気付いたことなのだが、どんなに車内が空いていても、外国の方はクロスシートを最初から詰めて坐る。鞄はしっかり膝の上に置いている。

縄文を知らない人は、弥生の渡来であることを鑑みない。この辺にも縄文遺跡があったと車窓に探していると、缶チューハイを片手にした場末スナックのママみたいな莫連女が乗ってきて、車内で通話し始めた。向かいの席のオジさんも休日の昼酒を楽しんでいたが、空き缶と菓子の袋をそのまま置いていった。阿武隈の名峰霊山には今年登ったが、列車の中からはどれがそれなのか分からなかった。

今夜は飯坂温泉に宿を取った。飯坂線には随分昔に乗っていたと思うのだが、曖昧である。路面電車みたいな交通機関で、それはいいのでは、と自分でも思ったのだが、まあせっかくだからと終点に着いた。破格の宿代にもかかわらず、館内の説明は丁寧で詳しく、非常時の逃げ口を複数箇所も案内され、とても古い旅館だったが清潔感に溢れていた。湯は飯坂にしては温くて拍子抜けしたが、総じていい感じである。お得な温泉宿であると思っていたら、夜半にうなされた。誰もいない広縁から足音が止まないから弱ったが、何より困ったのは、十二月なのに蚊に刺されまくったことだった。

左沢線って、何だろう。寒河江は知ってるも何も、毎年必ず釣りに訪れているし、温泉もどうして悪くない土地なのだが、乗り合わせた女子高生が皆、どうして大股を開いて話に夢中になっている。向かいに坐る男子高生はそれをこそこそと覗くでもなく、注視するわけでもなく、ただしゅんとして見えた。最上川は大変律儀な大河で、一度も山形をはみ出さずに日本海へ流れ下るという。男子高生は恬然としていたのかもしれない。

月山に朝日連峰の山容が雄大だ。振り返っての蔵王連峰は、いつも渋面を作っているように見える。宮城っぽさが多い山だと思う。左沢駅に降り立つと、立派な祭りの展示があって、詳しく見たいが、見ていると帰れなくなる。洋梨を象った黄色い看板が、太ったおてもやん、もしくは気のいい関取みたいで、嫌いになれなかった。

折り返しの列車の中で路線図を眺めていて、私はようやく気が付いた。二つの盲腸線は、繋がれる運命にあったのではないかと。左沢から長井線の荒砥への幻の線を指でなぞっていると、旧友から電話がかかってきた。乗車中につきメールで返答すると、先週に母親が亡くなったと返された。

降りてからすぐにかけ直すも、繋がらず。病気だったのか、まさか事故かと想像するうちに、悲しさが増してきた。愛別離苦、人に課された辛い別れ、それが母親とのことだから悼まれる。旅に出る前に「土鍋を新調するから土鍋を焼却場へ持っていけ」と母に命ぜられ、帰ってきたら今度は「土鍋を買うから土鍋店に連れていけ」と、そんな店を知らない私は、とりあえずホームセンターのようなスーパーマーケットに母を連れていったのだが、結局土鍋は買わないで、晩の鍋の具材だけ買って帰ってきた。で、「今夜はどうするんだ!」と母に激昂され、返す刀で少し怒ってしまったことが悔やまれる。

長井線の未乗区間、荒砥から今泉まで乗車する。冬の田に白鳥が飛来していた。枯れ木も山の賑わい、おんぼろ列車に描かれた紅花が枝に花を咲かせる。でもちょっと煩い感じは否めない。まっすぐで寂しい線路の上を列車は揺れて行く。結構怖い。死にたくないと思う。況してや争いによる犬死になんてと、強く思った。