阿房自動車の研究

十万キロ超、十年型落ちの欧州車は鉄屑と認識されているが(そもそも考え方が国産車とは異なり、十万キロで主要部品の交換というサイクルで造られている)、二千四年以降の欧州車は劇的に丈夫になったと聞く(二千四年に欧州で何があったかは知らないが)

確かに故障は大幅に減ったかもしれないが、それでも走って止まった分だけ車は劣化する。「永遠に乗るぜ、この車!」などと安易に宣言してしまう人は、諸行は無常であって、風の前の塵に同じことを知らない阿房だが、昭和後期のトヨタ車が「フォーエバー」であることを、中東の方なんかは実によく知っている。

よく知らない、というか、知ろうともしない。無知とは煩悩の根本なのだが、一般的な世のお父さん方の見解はどこまでも暗い。ミドルクラスのメルセデスベンツと言えど、維持費はマツダ車と大して変わらず、新車の販売価格からも分かるように、実は恐ろしいほどコストパフォーマンスに優れている。それにもかかわらず、五万も六万キロも走った国産ミニバン車に、二百万円もの大枚を叩くというのだから驚愕する。中古車市場は笑いが止まらないだろう。

語弊があったかもしれないが、ミドルクラスの新車を買いましょう、なんて言ってない(買えますとも言ってない)。あくまで狙うは未だ鉄屑の認識である、十年型落ちの低走行欧州車。郊外の戸建住宅に眠る、それである。

「アナタ、アナタ大変よ! タイヤに傷!」「・・・・・・マーケットの縁石で、君が、やったんだね?」「もう限界よ!」「そうだね、気付けば十年。そろそろ替え時か」

想像するに、きっとそんな車だったのではないかと。ホイールにガリ傷程度だから、まあ破格といえば破格なのだが、私も販売店も「ちょっと高いよね」と口を揃えた。恐るべし、十年型落ちの欧州車相場。

アウトドアで活動するも、しばらくクーペを乗り継いでいたし、ロードスターのときもあったから、積めないなら荷物を少なくする、短い釣り竿で挑むという技術をいつの間にか習得していた。だからワゴン車でなくてもよかったのだが、自宅のしかも部屋の中で保管していたルーフボックスがすっごい邪魔で、それを取り付けるためにワゴン車を選択。

少々古く、年代が車の型式に合っていないのだが、このルーフボックスはやっぱり相当イケている。調子に乗って、これまた隠し持っていたホイールを自信満々で合わせてみるも、最初からアバンギャルドとして完成された意匠の前では、違和感でしかなかった。足さず、そして引かずが正解だったから、お金も掛からない。

近しい人には車好きが多く、というよりみんな車好きか。しかし、中には深追いしすぎて、引きどころを完全に失ってしまい、未だに踠き苦しんでいる火宅の人も少なくないのだが、そんな諸兄姉に私は、諸行は無常であるということと、柳田國男先生の言葉を贈りたい。

「何が新しく生まれた美しさで、何が失われた大切なものか、いつも考えること」

そう考えてみると、あれだな。もはやこの自動車は、阿房自動車ではないのだけれども。