阿武隈川流域にある宮畑遺跡の目玉は、物には魂が宿るとした縄文人が「物を送った儀礼的な場所」をそのまま囲って、保存展示をしている露出展示棟だが、竪穴式住居にも燃やされた形跡が多く残されており、これもまた儀礼的な意味合いがあったのではないかと考えられている。と、ボランティアガイドの爺さんが言っていた。
そんな興味深い遺跡の土偶は「しゃがんだ」姿勢で造られており、座産もしくは祈りの姿勢であると解説されていたが、先の通り宗教性の強いことを踏まえると、どうでしょうか? またもボランティアの爺さん。
「んーやっぱー祈ってるかなー」縄文後期の特徴がよく顕れた、芸術的な姿形に感じ入り、そのように推測してみると、
「こんなのではダメだ!」
地面に叩き付けられた土器が、大きな音を立てて割られていくのが聞こえてきた。
「こんな駄作じゃ、とても交易品にはならん!」
遺跡の出土品に日本海側で採掘された天然アスファルトがあったが、これといって特産のなさそうな土地の交易品を考えている最中、東北らしい大木式土器の中に、人の顔と体がしっかりと表現された「人体文土器」を見つけて、いよいよ私の仮説は確信に変わった。
儀礼的な送り場ではなく土器の墓場、そこは芸術家たちの嘆きの場所だった。特産がないが故に品質が向上し、いつしか芸術性を帯びた宮畑の焼き物は、当代一流になった。そうだろう、爺さん。だから多くの失敗作が、ここで割られて埋められた。かつてこの地は焼き物の王国――
私の確信に正面から向き合ったボランティアガイドの瞳には「フルーツの王国です、ふくしま」と、ハッキリ印字されていた。
んー、確かに、物には魂が宿るとした縄文人の考えに反しているし、よく見ると土偶も人体文土器も、なんだか間の抜けた表情じゃないか。見れば見るほどに、重要文化財が嘘っぽく思えてきた。これー、子どもが作ったんじゃないの?
急に瞳の中が波立った。土偶教室やってます――、渡そうとして握られていた広報誌が下げられたのを、私は見逃さなかった。
爺さん、アンタ、まさか・・・・・・。