本州に集中的な強い雨が降る中、北の果ての島はまるで南国のような好天で、おまけに世界の虹の発生源となっていた。屋久島の宮之浦岳は洋上のアルプスと称されるが、利尻島は一つの島がそのまま富士の峰で、日本百名山中の名山が洋上に屹立していた。日本の名山と呼ばれる山を色々と見てきたが、どうだろう。ここまで心が震えたことがあっただろうか。
利尻富士の長い山路を辿った日も良く晴れ、暑くなってくると時折風が吹いてきた。島には熊や蛇などがいないのをいいことに、人が大手を振って歩いていると、それが可笑しいのだろうか、野鳥たちが口を開けて山を賑やかしていた。
花の浮島、そして旬のウニが私を待っていたはずの礼文島で、不漁。それでもホッケにニシン、タコ、それから飯寿司が大変美味だったので、食わずとも悔いはない。ない、と言いたい。しかし、北国の食べ物がどれも本当に美味しいのはなぜだろう。はっきりとした四季の自然がことに美しいのも、厳しさが故に、か。だから輝くばかりの夏の島を無何有の郷だと思うのだな、私は。
前世を津軽の女だと自称してきたが、間違いだったかもしれない。フェリーの甲板で、夕日を浴びて離れてゆく二つの島に、未だ強く惹かれていた。
稚内には二十数年前に仕事で訪れたことがあった。街は随分と寂れていたが、平日にも関わらず居酒屋も割烹も大盛況で、本日貸し切り、本日満席と軒並み暖簾を降ろして営業していた。困ったことになった。
昔日、連れて行ってもらったラーメン屋の場所まで思い出せないが、名物のチャーメンではなく薦められたラーメンでもなく、カレーを食べたことをはっきりと覚えている。失礼なだけでなく、無知蒙昧だった若い頃を思い出すと激痛が走るのだが、よろめきながらも暖簾を潜ると、カウンター席に長髪の客が一人、その鼻の両孔からゆっくりと紫煙が漏れ出していた。
やべえ店に入ってしまったと戦いたが、記憶が焦げた中華鍋に、油で汚れた店の壁に繋がると、出されたラーメン餃子のうまいこと! な、だろう? 今度は吐き出された紫煙を直に浴びて、かつての自分が思い起こされた。だからまた、激痛。
特急サロベツが北の原野を走る。旭川まで四時間、旅の最後に鉄道のお楽しみ。急に速度を落としたので、なんだ熊でも出たかと身構えると、車窓に映った利尻富士からまた虹が発せられていた。
無事、定刻通りに到着し、予約していた時間にサッポロビール園とは、なんとも俗っぽい。食べて呑んで、乗って登ってと、ずっと好天の中で虹にも降られていると胸がざわめく。なぜなら、禍福はあざなえる縄のごとし。急に鳴り出した電話に驚いた。「今、近所の酒屋に居たでしょ?」
続いて速報されたのは、復路に遅延発生。ついに天候調査の警告が付いてしまった。