ちょっと太くて油を含んだような

「遅い、遅いって! 献花、頼んでおいたから」ゴメンごめん、おお、ありがとう、気が利くねって、どっさり届けられた花輪に腰を抜かした。いくら何でも頼みすぎじゃないの? せめて一つくらい、自分の会社名義で出しなよと小声で突いてみるも、金持ってるやつほど吝嗇なのはどうしてだろう。おまけにその高額な代金を徴収する羽目になった私に、友人たちのちょっと嫌な顔が向けられる。いや、あからさまに嫌な顔が出来ない通夜式だから、余計に顔が恨めしい。だから頼んだの、俺じゃないって・・・・・・。

たとえば山頭火のように死ぬほど飲んで酩酊し、それでも死ねないのが人間の弱さだと思っていたが、こうもあっさり逝かれると本当に儚い存在なのだと思い知らされる。献花を頼んだ者とそれを送られた者は、ともに独立して起業した立派な両人であり、昔からよく似た者同士だと私は思っていたが、どうやらその結果は対照的だったらしい。

何のために生まれて死ぬのか、いちいちそんなことを求道するような後者ではなかった、からなのか、失敗を多く経験した。もちろん嘲笑ではなく、むしろそのところに私は感嘆していたのだが、近年はとくに上手くいっていなかったからなのか、やれあいつはスゲえ車に乗っている、高額な養育費を支払っているだの、最近は妙なコンサルまで憑いているなどと、社会的な物差しで測ったようなことを言い出したので、私はそのままそのように受け取り、だからちょっと嫌な感じを抱いていた。

急なことだったので、まだ誰のところにも悲しみは追いついていない。変な話だが、自死とか変なのやり過ぎたとかの方がそれっぽく、悲しみは先行していたかもしれないと誰かが漏らすと、もう誰も真面目に故人を偲んで献杯なんて捧げなかった。ただ、昔話バカ話に花を咲かせていた。だからホント、献花なんてそんなの要らないって。俺たちはそういうアレじゃなかったって。

死んだ者と生きている者、成功した者とそうではない者、その証は社会的な物差しの結果に非ず。本当にやりたかったことは自律することで、何でも人任せにするロックスターみたいなやつに中指をおっ立てる。随分と青二才だった頃からしっかり分かっていたはずなのに、「だからね、そういうロジックなんだよ」ロジック? 誰だ、阿呆に馬鹿なことを教え込んだのは。妙なコンサルか?

自分のため社会のため、自律して額に汗する人は、まともな車に乗っている。金儲けは富の搾取、その仕組みが合法だろうが何だろうが、そんなものは論理などではなくカラクリに過ぎない。実労働のないところに道義なし! 居直ってんじゃねえ!

はたと、故人の、ちょっと太くて油を含んだような、高い声が中耳に蘇った。大切な友への忠告、警鐘だったとすれば、私は大変な誤解をしてしまったのかもしれない。

遺影は、何だかモジモジしたものだった。しばらくその顔を思い浮かべていたのだが、やっぱり何か言いたげ。「言いたいことを言え!」と言ったのは、君だったろうに。モジモジするくらいなら死なないで欲しかったけれど、未だに悲しみは追いついてこない。まあ、その辺りの話はまた、今週末の「味覚は教養、美酒佳肴会」で。