クラブチッタ以外に用事はなかった、川崎。川崎の能楽堂はちょっと可愛らしい舞台で、この場所でも現行曲二百番(の主要作品)を観賞しようと催されている。終演後には山本東次郎師のお話もあり、この頃は本当にすっかり変わってしまった、私が幼い頃はまだ「室町の時代」が感じられた、と師の曰わく。
ええー、せめて江戸、ではなく室町までぶっ飛びますかーと見所から漏れてきたが、未舗装の路を牛馬が行き、障子戸一枚を隔てた室内で暖をとる火鉢。なるほど、江戸と室町には大きな変化はなく、戦前までは昔の時代がそのまま残されていた。急激に変わったのはごく最近のことで、多大な電力を消費する人工知能のために、もはや反原発も古い考えであるというのだから、昨今の急変こそ甚だしい。
湯治に訪れていた玉川温泉も、太古より変わらず噴騰してきたのだろう。屈指の酸性泉は、色々と調子が悪くても一撃で効く、私はその温泉力を非科学的にも信仰しているが、北投石の岩盤に臥した方もまた、宗教に立ち返るようにして、静かに体を養い浴していた。
来日した米国のバンドはクラブチッタのステージに、自分たちで機材を運び上げていた。往事、日本のパンク崩れのバンドなんかにも丁稚がいて、機材運びから何からをやらせていたのだが、その姿勢「自分でやる」という当たり前のことをどう見ていたのか。なんて、論ずるまでもなかったね。
かつて武家の式楽であった能狂言。狂言は大名とその従者である太郎冠者が舞台の上で、愚かな失敗や失態を見せて笑わせるのだが、先の通り大名の前で演じられていた。狂言は、笑いに包んだ仕込み杖であると師が語るように、おもねることのない反骨精神がそこにあり、本当に笑えますかという問いにもなっている。
無知蒙昧サウンドの中に仕込まれた怒りのようなそれもまた、自らで立つことを促した。自由、それは自らに由るのだという疾走感に乗せたパンクロックほど、痛快な反骨精神を私は他に識らず、誰にへつらうことなく笑えたのだから、同じく普遍的なものがそこにあったのだろう。
人間の根本は変わらないのに、現代だけがあまりに急変する。そこで見失われた何かが悲鳴を上げているのか、それとも人間の皮に包まれたアホが絶叫しているだけなのか。湯が痛い! おお、染みる!