明けぬうちに、混沌の遍路宿から逃げ出して一人。いや、同行二人で、第二十七番札所の竹林山神峯寺に登る。真っ縦と呼ばれる直登の山道は、土佐路の「遍路ころがし」とされ、難所で知られるが、親から貰った二本の脚が、奇跡的にも、ちゃんと働く者を転がすほどではなかった。
納経帳の中央から端へと、軽やかに伸びていく筆は、か細いようでいて太い芯が通り、掠れることなく墨を記した。しなやかな書そのものが、軸を揺らさない舞踊のようであり、軽風にそよぐ樹木のようにも見えてくる。返された納経帳を両手で受け取り、朝一番の心がまた引き締まる。今日も気持ちの良い遍路となりそうだったが、来た道を下っていると中腹で、網代笠が蹲っていた。
はあはあ、ぜいぜい。肩で息して腰を屈めて、膝に当てていた手の反動を用いて身体を起こし、ふうっと一息ついて姿勢を正したかと思いきや、「うっぷっ」と嘔吐いた。駆け寄ると、口元に当てた掌から漏れ出た呼気は酒臭く、無精な髭面に酷い宿酔を浮かべていたが、日焼けの黒とも黄疸の黄ともつかない顔色を上下させて、中老のお遍路は、よろめきながらも私の介抱を断った。
背は低く、頬は痩けて、丸眼鏡は汚れていた。見方によっては、贅肉のないシャープな横顔にマンダムを薫らせ、そのアイウェアで紫外線をカット。しているようにも見えなくはないが、どうにも酒に負けていると、みすぼらしく見えてくるもの。種田山頭火とは、果たしてこんな人だったのだろうか。

唐浜まで下りてくると、辺りはまた南国の日時計を刻みだした。朝食を取り損ねていたので、休憩がてらカフェに入店したのだが、風光明媚な窓辺で語らうのはどの席も恋人たちのようで、ときにイチャイチャと、こちらも午前からお熱いよう。
そんな恋人たちの間を、「南無大師遍照金剛」と背中に書かれた、死装束のお遍路が割って入る。恋人たちの聖地で、弘法大師空海の御宝号を唱えながらタコライスを食む、その光景は若干の違和感を生じさせていたかもしれないが、お遍路は名産品である柚子サイダーのグラスを傾けて、冷ややかな視線に応答する。聖地違いだと、ただそれだけだと。そんなことよりも、室戸の岬がもうあんなに遠く見える。向かう方に見えるのは、きっと足摺の岬だ。思ったより近く感じられるのは、歩きに自信がついてきたからだろう。
それでもペースを上げて歩くのには、訳があった。大相撲中継に間に合うよう、四国遍路を急いでいるのだから、お大師さんも聞いて呆れる。そうして急いでいるのにもかかわらず、海端に建てられた、西欧風の東屋に肩を寄せる恋人あれば、寄らずにはいられないのが人間の性、お遍路の寂しさ。匂うような恋人たちのすぐ後ろに腰を下ろして、いつものように南無大師遍照金剛。
生きるも一人、死ぬも一人。それを分かっていながらも、打ち寄せる波のように即かず離れず、捨てきれない。それが人間の業だと、ただそれだけのことだと。躍起になって、潮騒の余韻を掻き消そうとしていたのは、私の御宝号だけではなかった。東屋の片隅で、宿酔のお遍路が、あの具合の悪そうな顔色を上下させていた。

「旦那さんはどちらの宿で?」
聞き返されて私は、不味いことになったと後悔した。おまけに、宿酔のお遍路の言葉には聞き慣れた訛りがあって、どうにも同郷であることが疑えなかった。出逢うお遍路のほとんどが関西圏という状況の中、これは親睦を深めようという一因にもなりかねない。
自慢の、競歩の速度で振り切ろうと試みるも、宿酔のお遍路は追走してきた。その馬力は酒、ではなく、そこの駅まで後免奈半利線に乗車してきたからだと、堂々と、はにかんだ。今回で六巡目、逆打ちでも結願しているベテランで、一家言あるという。ずばり遍路とは、歩行による身体の健康と遍路宿での心の癒やし、であると言い切ったが、明確な答えをあらかじめ用意しているところに生じるのが、疑いである。
さて置き、幕内の取組に間に合った。さあ、始まると、割り当てられた部屋の小さなテレビに齧り付こうとする私を、襖越しに呼ぶ声があった。焼酎のパックに梅干しやら何やらを抱えて、宿酔のお遍路が廊下に立っていた。
テレビの大歓声を背にして、向き合わざるを得なかったのは、お接待を断るなどとんでもないことだと、宿酔のお遍路がその語気を訛らせたからだった。人のよろしさを、四国遍路で感じられなければ意味がない。受けたお接待を噛みしめながら歩く。だから出された酒はくいっと平らげるべきだと、宿酔のお遍路は湯呑みを煽ってみせた。
そういえば、ここまでの土佐路で、お接待らしいお接待を一度も受けていなかったことを思い出すと、阿波では観光客として認識されているが、土佐はダメだと、宿酔のお遍路は声を潜めてそう言った。伊予は金持ちが多いから、また別のお接待が始まるとも付け加えた。
道すがらのそれよりも、遍路宿のもてなし、確かなお接待が何よりの楽しみで、遍路旅を続けているという。観光旅館などで供される御馳走は一週間と続けられないが、民宿である遍路宿の食事、風呂などは家庭のものと変わらない。日常を掘り下げれば、そこに幸福があることを思い知らされるのが常だが、だからといって甘んじるように酔い痴れる者を、阿弥陀仏ならともかく、お大師さんは相手にしてくれるだろうか。
それでも宿酔のお遍路は、パックの酒に舌を滑らし続けた。そんな遍路宿を俺は知らない。泊まったことはないが、知れている。そんな酒も飲んだことはないが、不味いにきまっていると、夕餉もまだだというのに、みすぼらしく酔っていた。
逃げるように歩き出していく姿が、自身とも重なる。このままでは本当に、酒にしか相手にされなくなってしまう。それは困る、それでは寂しいと、宿酔のお遍路は互いの納札を交換しようと提案してきた。慣例的にお遍路は、自身の納札を名刺としても使用するのだが、私は鈴木の偽名が記された納札すら、交換する気になれなかった。

出立前に宿の女将に尋ねるも、あれは須崎の港だと笑われた。足摺岬はまだ、見えないくらい遠くにあるという。歩いていかなければ、見えてもこない。打ちのめされてまた、歩みは強くなる。
淀みのない秋晴れの下、ニラの耕作地を貫く遍路道で、しっかりと輪袈裟を下げて歩くお遍路に追いついた。室戸で追い越しはしたが、一日の行程を長くしている彼とは、随分と差が開いている、そう思っていた。
