四国霊場第二十四番、室戸山最御崎寺を目指すため、阿波徳島に戻ってきた。台風発生の中、それでも室戸岬へ歩いていくと、強い決心を固めて訪れると、不思議なことに台風は逸れていったが、両国橋の上で妙な女に話しかけられた。「もしかして、お遍路ですか?」どう見たって、釣り竿にしか見えないように厚く包んできたのだが、女の視線は金剛杖を透かしていた。
「やっぱり、四国に呼ばれたって感じなんですよね?」
「・・・・・・いや、全然」
最初は行というよりロングトレイル的な感じで、憧れちょりました。との私の話を言下に「アタシは呼ばれたんです!」と、女は興奮気味に手提げ鞄を振り回した。見れば、確かに、思い立って飛び出してきたような荷の軽さだったが、婦人靴を履いていた。それで遍路は歩けない。散歩ついでに八十八箇所を巡り歩いた者はいない。「でも呼ばれたんです!」
酔っ払いなのかと疑うも、その呼気からはスピリチュアルな饒舌が吐き出されただけで、覚悟などというのは微塵も見られなかった。そもそも、パワースポットだの御利益だのと、それがすべて自分のことばかりでは、何も考えていないのと同じく、無思考と何ら変わらない。遍路は自信のない者に自信を与え、ある者には慢心を報せる、覚悟の旅である。杖を頼りにして、遍く路を考え歩く、身体と思考の行である。四国はおまえなんか呼んでいない。

前回、サーフィンのメッカである、生見海岸まで歩いてきたときは好天に恵まれていたが、荷の重さに気分は相当滅入っていた。テント泊の装備も慣れたものだと自負していたが、遍路の行はそれとはまるで異なっていた。路は平坦だが喧噪が近く、ときに排気ガスに塗れ、南国の日差しにそのまま照りつけられるから、身体は乾ききった。冷涼な高地ではなく、森閑とした景観も望めず、無垢な清水が湧いているというのでもない。俗っぽい乾きは、異常なまでに、自動販売機に取り憑かれていた。
長い歩きの路といえども、山伏や雲水らが勤める、本格的な行ともまた異なる。それでいて、愉しみが非常に少ない「行楽」であると結論づければ、挫折へと逸れていく迷い路に。なるほど愉しみ方が違うのだと、お接待の文化や遍路宿などで触れることが出来る「人のよろしさ」に気付かされ、今回はテントを置いてきた。
まだ八里ほど先にあるはずの室戸岬が、白波のまにまに黒々と浮かび上がっている。身体はよく動き、精神もしっかりと追従していく。それもそのはず、まず荷が軽かった。昨晩の遍路宿は評判通りのモダンな民宿で、閑かさの中に考え得るもてなしがさりげなく詰め込まれており、今日の英気にも繋がっていた。いい遍路宿には決まって、先達お遍路が同宿しているものだとも確信するに至った。

岬が近づくにつれ、波音が大きくなってきた。室戸といえば、何より台風を想起するが、近年は温暖化の影響で、進路を変えていると聞いた。それでも波は、有り余る力をもって岬に当たり、砕けては潮を含ませ、目深に被った網代笠の中にも染み入ってくる。
何度も路線バスに追い越された。バスの中から装束を着た乗客に見下ろされたが、長い路を厭う者を否めない。行楽ではないから、尚更にそう思う。思いながらも杖をついていくと、先をゆくお遍路に追いついた。しっかりと輪袈裟を下げて歩き、交わした挨拶の中にも誠実を滲ませていたお遍路は、而立か不惑の壮齢だったが、金剛杖は相応以上に枯れていた。
歩きでは二巡目だというが、少し足を痛そうにして、路を進んでいた。それでも室戸岬を越えて、第二十五番宝珠山津照寺の門前宿に投宿するというから、根性が見える。彼の前にもお遍路の姿があったが、なんだか歩みは弱々しく、時折、強い風に吹き飛ばされそうになるほどの疲弊が、まざまざと見て取れた。
杖は錫杖だったが、ショルダーバッグに身体は傾いていた。「先達の方ですか?」との私の問いには答えず、「もう何度も失敗してるんです」と知命のお遍路は、疲れ切った声を更に枯らした。もう歩けないと、バスを呼び止めた室戸岬への道程を、都度バスやタクシーで戻って再開している。それでも失敗から学ぶことは多く、ついに転ばぬ先の杖を手に入れた。実はこの先に、車を停めてあるのだという。
失敗を前程とした杖のことよりも、僧侶や先達しか持てない、その錫杖のことが私の興味を引いていた。
「あ、これ? インドで出家した、知人の坊さんが置いてったの」
他人の杖は他人の業も抱えることになるので、拾うのはおろか触ってもいけないと、協会の解説本に載っている。
「ええ! そんな、縁起でもない!」
岬の突端を回り込むと、青々と茂る樹林を突き抜けて、白亜の青年大師像が見えてきた。

日の陰った急な山道を登り切り、ついに室戸山最御崎寺の山門を潜った。
汗とも潮ともつかぬ滴が眼に入り、一入な涙を頬に這わせていた。本堂と太師堂に納経を済ませると、そのまま境内のベンチに座り込んでしまった。チクリと、針の刺す音も痛みも感じなかったが、ぷーん、とヤブ蚊が頬の辺りから離れていく声は、いつまでも中耳に残っていた。
景勝地は、連休を持て余したかのような、観光客で賑わっていた。寺には遍路センターと称される宿坊があったが、一名での宿泊予約を断られてしまった。基本的に二名から予約を受け付けるとのことだったが、同行二人、お遍路は一人であって二人であるからして、どうにも腑に落ちない。
結局、海辺の民宿然とした、年季の入った観光旅館に投宿したが、遍路に理解が深いようで、金剛杖を部屋に持っていってよいかを尋ねると、「当然です。御杖はあなた自身でもあるのですよ」。名ばかりの宿坊などに宿らず、本当に良かったと安堵するも、お風呂の準備はまだ出来ていないらしい。
夕餉は海鮮尽くし。金目鯛の煮付まで出されては、杯が止まらない。前回は禁酒して遍路を行っていたが、嗜む程度、疲れを取るくらいなら、許されるだろう。
「あのう、バスに、乗ってませんでした?」
空の銚子を卓上に転がしていた、耳順のお遍路に話しかけられたが、当然人違いであり、甚だしいような人違いである。私はここまでしっかり、歩いてきましたけんどと胸を張りながら、お宅はどこから歩いてきたのだと問い返した。「青年大師像から」「近っ」
お遍路同士、遍路話に花を咲かせるも、私は杯の中に、誠実そうな、あの、壮齢のお遍路の顔を浮かべていた。
