遠き理を訪ねて

山深き赤石山系に繋がる専用林道が舗装路となったのは、わりと最近のことで、リニア開発の恩恵だと聞く。源頭を間ノ岳に持つ一大本流、大井川の流れもダム、またダム、堤高が世界一のダム(なぜかあまり知られていない)に奪われても、まだ下流にダムが続くという無惨な大自然で、欲望が溜められているようにしか見えないのだが、厖大な利権に漁られた、そんな深山へ、三百六十日も経たないうちに再訪した理由が、自分でも実はあまりよく分からないでいた。

確かに、開発の及ばない上流域には大和岩魚が残り、国土を代表する三千米峰群からの眺望絶佳は筆舌に尽くし難いが、それとて開発者から恵んでもらった産物のように思えて、なんだか悔しい。飛騨山系と違って、観光が産業化されていないから尚のこと、そんな風に感じてしまうのだろうか。

かといって、それにも触れず見逃してしまっては、また穿たれるだけ。人間の欲望を嫌というほど考えさせられる山域であり、ほとほと嫌になる場所でもあるのだが、ん? あ、そういうことだったのか。感じて、考えるために訪れたのだ。

『日本百名山』によると、日本アルプス探検時代に未知の山とされた悪沢岳だったが、頂上には人跡があった。白木造りの祠が三つあり、荒川大明神と記された木札が残されていたという。

悠久の流れ、果てなき森林、そして高峰群と、人間が自我と知恵とを持ち合わせて、大自然に立ち向かえたとき、血湧き肉躍るような昂奮があったのではなかろうか。それは、最初に登ろうとした開拓者に同じく、人間には野生にも負けない力が備わっていることを気付かせた。

時代を経て、今は一向に省みない。その恩恵がどこから来ているのか、知らないし知る必要もないという人もいるかもしれない。勿論、頂かなければ生きて行かれぬのが利益、自然からの利益で、生存を未来へと繋げるために私たちは協力して働くのだが、その本来の意味、意義を知らないというのでは、利権や権益、そういうものとは永久に袂別できない。今となっては。

とまあ、井川ですら遠いのに、そこからもまだ遠い赤石山系。登るにしても下りるにしても遠いのだが、こうして振り返りながら文章に起こしているとき、その分だけ楽しいということにも、ようやく気付けたようだ。遠かった。