人生即遍路その四

ついに海を望む。鉄道紀行文学で読んだ、牟岐線は田井ノ浜の臨時駅を、まさか歩いて訪れることになるとは露にも思わなかった。入り組んだ海岸線を遍路道は崖沿いに伝う。照葉樹が茂る色濃い緑の遊歩道で「俳句の径」となっており、潮騒が風光明媚を詠むままに、歩き遍路を束の間の風流に連れ立った。

紀伊水道の海風は何とも心地好いが、こんなところで震災に遭ったら、どうなってしまうのだろう。ふと考えたそのとき、防災無線が鳴り響いた。

「――本日、保護ウミガメの放流を、午前十一時から行います」

阿波徳島最後の札所、薬王寺を目指してひたすら歩いているが、日和佐と言えば、それはウミガメだろう。もう少しすると産卵のために上陸してくる。息が続くまで、甲羅につかまって潜水すると相当沖に出ていた、これも鉄道紀行文学にあった。ああ、見たい。出来ることならウミガメに、触れてみたい・・・・・・。

遠くから見えていた伽藍に、女厄坂三三段、男厄坂四二段、男女厄坂六一段を登りきって、ようやくたどり着いた。あまり気にする性質ではなかったが、一応厄年のときは「渋温泉の九湯巡り」にて流してきた。一晩で九つの外湯巡りは結構大変だったと記憶しているが、四国巡礼に比するまでもない。

「歩いてきたの?」この辺りまでくると、驚きをもって尋ねられることが多くなってきた。荷物が大きいからだろうか、他のお遍路よりも私を目指して、お接待が近付いてくるように感じる。「この先も歩いていくの? ならこれ、お接待」頂けるのは菓子か柑橘か、それとも現金かと、ろくでもないようなその邪心が貰ったのは、ビニル袋だった。

ウミガメが泣いているように見えるのは、涙ではなく粘液で、体内で濃縮された海水が眼の上の孔から流されるのだと、やっぱりこれも鉄道紀行文学だったが、邪見は排泄物をも見紛う。四国巡礼が甘くないことを痛感しているが、ビニル袋に何を容れていいのか分からない。

次の二十四番札所最御崎寺は室戸岬にある。遥か先にて、未だその突端すら見えていなかった。

県境を報せる看板を見て、金剛杖をついていない方の手で拳を握った。宍喰温泉はアルカリ性のどうして中々いい湯で、波乗り浮かぶ生見海岸の民宿はサーファーの宿だったが、お遍路にも優しかった。

日に焼けた店主は米国釣具店のシャツを着ており、併設したレストランの雑貨コーナーにもその類いが並べられていた。歩いて来なかったら、たくさん話が出来たかもしれない。一人で歩いて来なかったら、私も家族や仲間とともに休暇を満喫していたのかもしれない。

――嘘だった。バットフォール・サーファーズを聴いたことはあっても、バッドレリジョンのサーファーなんぞ聴いたことがあったろうか。残念ながら私はバサーに非ず、サーファーに非ず。そう、残念だから今、即ち此処で、波乗りたちによる半狂乱の潮騒が止まない宿で仰向けのまま、一睡も出来ずに遍路を迷っている。

明日は大気の状態が非常に不安定となり、大雨暴風落雷また高波に警戒するようにと、気象警報を並べられるだけ並べられてしまった。連休の中でも最盛の明日は、よりによって室戸岬の突端にあるキャンプ場を予約していた。空室のある宿などあるわけもなく、とどまれる場所もなし。そもそも永遠と続く海岸線には退避出来るところがなく、それ故に歩き遍路の難所とされているのを狙い撃ちされては一溜まりもない。

大虚寥廓として円光遍し 寂寞無為にして楽しきや不や

大空はがらんとして仏陀の放つ光は遍く輝き、ひっそりとして作為のない生き方は楽しいではないか。真実なるものを前にすることが出来れば、人生はほんとうに楽しいのだという、生命への大肯定が、弘法大師空海の思想にある。

清浄である自然が人間に与える利益、即ち虚空蔵菩薩とは、そのまま幸福の源泉であり、智慧の源泉でもある。だから自然のまま生きて、歩いていくことで、自身はその仏性に気付けるのかもしれない。

身支度を調えた私は、ここまで肯定してくれていた納経帳を濡らさぬよう、ビニル袋の口を固く結んだ。

同行二人、なるほどお大師さんが伴ってくれている。与えられているのだから、やはり遍く見て、どこまでも行かねばならない。

阿佐海岸鉄道のデュアルモードビークルは予約制だったが、始発便に空席を見つけた。乗り継いだ牟岐線の鈍行列車が、ひたすら歩いてきた路を物凄い速さで戻っていく。大混雑の新幹線の中を菅笠に金剛杖というのでは通報されかねないので、このままローカル線を乗り継いでいこう。二十時間ほどで到着出来る見込みだ。

通しで歩くことはまだ叶わないかもしれないが、秋の連休に再開しようと思う。