先を急ぐほどに、そのつまらなさを、身をもって実感してきたが、それでも大型連休の予定は変えられない。なぜなら、予定通りに帰らなければならないから――。そんな自らの不覚を十分に知りながら、また、最初の遍路宿で「通し打ち」の充実を見せられても、かかってきた電話に出たというのだから、私は甘い。即ち弱い。覚悟もなければ、その肝を必要以上に冷やしてばかり・・・・・・。
なんとも弱々しく歩いていた、年若いお遍路を幾人も追い越してきたが、五番とか六番札所で早くも音を上げただけでなく「やっぱり車で回ります」と、最初から車を用意してきた者もいたという。しかし、そんな弱さと私の弱さには、どんな違いがあるというのだろう。よく分からなくなってきたところで、阿波の関所として知られる、十九番札所立江寺にたどり着いた。

悪人はこの霊場を越えられないというが、無事に経を納めることが出来た。昨日より、どうして重たくなっていた荷物を降ろして、境内のベンチで放心していると、線香ではなく紫煙に遮られた。無遠慮に足を組んで坐り、編み込みのブーツを投げ出していたのは若僧だったが、白衣の背中に南無大師遍照金剛。遍路に出てくる者の弱さ、誠実さともまた違う、客気のようなものを燻らしていた。
古の路を案内する遍路道は、穏やかに薫っていた。石仏が坐すのは路の辻だけでなく、家屋と家屋の間にも榊が供えられていた。遍路墓も多く弔われており、時間というか時代をそのまま止めている。そこをお遍路がまた歩いていく。明日の行程は「へんろころがし」の第二弾、第三弾と称される山路を登り、そのまま海岸線へ出るという強行軍だが、荒天の予報が出てしまった。降雨は一日中、夜には落雷をともなって荒れるという。
今日のうちに山を一つ越え、二十番札所鶴林寺を打つことは難儀ではないが、向かう先にキャンプ場などなく、野宿を覚悟しなければならない。歴とした社会人であり、河原者ではないと、ほら、またそうして覚悟を見せられない。飛び込むことができない。
木立の坂路で、後ろに現れては消え、また現れては消える影を追い越していった、お遍路を呼び止めた。やはり明日の雨を嫌がり、今日のうちに鶴林寺を打つというが、先へは行かず、麓まで下山して明朝に登り返す。できるだけ納経帳を雨の下に晒したくないのだと。
テントより何より、重たくなっていたのは納経帳だった。歩いて四国を巡礼すること、今更ながら、それがどんなに大変なことかを経験すると同時に、経を納めたと記してくれるこの帳だけが、自分を肯定してくれているような気持ちになっていたのかもしれない。札所を一つ打つ毎に、確かな重みを増していく納経帳。これだけは、墨守せねばならないと。
「濡らせないッスよね、ぜってー」
意を決して駆け下っていた坂路で、あの若僧に追いつかれていた。よく見れば、抹香臭くない軽やかな青年で、薫風の季節に映えていた。下りきった先にある、小学校の跡地が遍路小屋となっているらしく、そこには水もトイレもあるという。
体育館の軒下を分け合うようにして、テントを二つ立てた。これで雨露を凌げると私は安堵したが、本当は一人ではなかったからだろう。世界各国を回ってきたという青年は、「だからどこでも寝られるんス」と哄笑したが、乞食ではなく遁世者でもなく、やはりお遍路だった。最初は恥ずかしかった経も、ようやく様になってきた。けれども納経所で金が掛かることを知らないできたから、尚更、納経帳は濡らせないとまた笑った。
多くの路銀を要しては、遍路旅の意義も変わるだろう。ガス缶やコッヘルなども持さずに「昨日のおにぎりッス」を青年は逞しく囓っているのだから、私は自分に足りないものを見せつけられた。そして明日は海岸線へ出るだけでなく、阿波徳島最後の札所である、薬王寺を目指すというのだから強烈だ。後ろから現れ出でる自身の影を、捨身の行で突き放す。これが本物のお遍路の姿なのかもしれない。
「急がないと、合流できないんス。新妻と」
どうしても休みを合わせられなかった新妻が、室戸岬までバスで追いかけてくるという。岬の観光ホテルで合流し、そこからは二人で楽しく歩くのだと、新妻の定義も知らない私に向かって、青年はいつまでも嬉しそうに話していた。

雨に煙る太龍寺に着いた。二番目に到着したのは、納経帳を濡らしたくないと、鶴林寺から一度下山したお遍路だった。
驚くほど大きな山上の寺院だったが、長居は出来ない。私は一人、いや同行二人で、墨守しながら海を目指す。他の生き方を知らないからきっと、歩いている。
如実知自心。思いやることを忘れ、自らを戒めることもなく、耐え忍ぶことも知らず、怠惰に過ごし、その結果として悩み迷う。自らの心に目を向け、汚れた心を知り、省みる――。



